アン ミカ「友達のお誕生日プレゼントが買えなかった」一家7人4畳暮らしの極貧生活から「被害者意識を持たなくなるまで」
子どもの頃は極貧生活を過ごしたと語るアン ミカさん。1家7人4畳暮らし、学校の給食費が払えない。どのように気持ちを保っていたのでしょうか。(全5回中の1回) 【画像】パリで購入したあまりにドラマティックなワンピースを着こなすアン ミカさんなど(全12枚)
■「ちょっとミカちゃん」と先生に呼ばれて ── 子どもの頃は大阪の生野区に住んでいたそうですが、家庭が経済的に苦しい時代があったと聞いています。 アン ミカさん:両親と子どもたち5人(兄、姉、私、妹、弟)、一家7人で4畳半の部屋で暮らしていた時期がありました。大阪の長屋で2階の一部屋を借りていましたが、玄関を上がると知らないおじさんの部屋があって、おじさんが寝ている部屋を跨いで自分たちの部屋に向かうんです。
台所は借りていてトイレは共同、お風呂はないです。お風呂がある家に住んだのは高校2年生のときが初めてだったので、それまで銭湯通いでした。ただ、家族全員が効率人間だったので、銭湯に行くと、10円くらいでシャンプーやトリートメントが売っていますよね。1回使うと余っていても捨てる人がほとんどだったので、それをおばちゃんたちから貰って。当時は柔軟剤も家になかったですし、毛糸のパンツを洗うと縮むけれど、リンスをつけるとフワフワになるので柔軟剤替わりに活用していました。
中学生のときは陸上部に入りましたが、部活が終わった後に学校でシャワーが浴びれるんです。そこで友達からシャンプーやリンスをもらえたら銭湯に行かなくて済んだり。そんな節約生活でした。 ── 近所の方とも助け合っていたそうですね。 アン ミカさん:はい。例えば、うちの布団が干しっぱなしだと、勝手に隣の家の人が入ってきて取り込んでくれる。泥棒に入られたところでとられるものがないですし、路地におばちゃんたちが椅子を持ってきて井戸端会議をしているから、知らない子が自転車で入ってきたら、「あんたどこの子や」ってなるので。逆に安心感がありましたから、「あそこの子、最近見いひん」っていう変化すぐわかるんです。映画『ALWAYS 3丁目の夕日』が今も残ってるような、人ってありがたいなって思えるエリアでした。
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