JO1川西拓実は「未知数」。『バジーノイズ』監督・風間太樹が感じた表現者としてのポテンシャル
清澄が人と交わっていく話が作りたかった
──演技の指導は細かくされたんでしょうか。それともニュアンスを伝えてあとは委ねるかたちに? 風間 どちらともいえるかもしれません。自分がイメージしたかたちの線をなぞる部分と演じ手自身の心と身体に託す部分と、状況に応じて、人に応じてかける言葉も違っていたと思います。清澄は自己意識的に他者に対する心のふたを閉じている人です。そんな彼の心が揺れるときには、心のふたが動く過程を川西君と細かく共有しながら作っていきました。「ここは完全に閉まっている」「微かに開けてほしい」というように。たまに現場の隅でひとり考え込んでいる姿も見かけましたが、清澄という人をわかりたくてひとりで葛藤していたんだろうなと。そうした姿もいつの間にか清澄に重なりました。 ──共演者のみなさんからも、きっとたくさん影響を受けていたのでは? 風間 スポンジのように吸収していましたね。特に桜田ひよりさんには刺激を受けたようで、現場にどんなふうにいるべきなのか、その姿勢からも影響を受けていたように感じます。集中の仕方、抜き方、自分なりのリズムをつかむということ、自分でいる時間を大切にするということを特に。ひよりさんと現場でコミュニケーションを取っていると、たまに「今何を考えているんだろう」とわからなくなるような、振り返ったらいなくなっていそうな無軌道さを感じるときがあります。そうした「わからなさ」「読めなさ」が潮(うしお)と重なる点でもあって、あくまで自然体でいようと試みている姿からも受け取るものは多かったでしょうね。 ──清澄と潮のシーンで、特に手応えを感じたところを挙げるとすると? 風間 線路沿いをふたりで歩くシーンです。清澄が他者と関わらなくなった理由を潮に吐露するシーンですね。清澄の音楽を誰かに伝えていきたいという願いと、清澄本人に対する好意が芽生えてきた潮によって、清澄の閉じた心が解きほぐされていく。そして潮にハグされるのですが、清澄にとって人間関係は、すべて自分と他者という線が引かれたものなので、その先には踏み込めない。潮もそれに気づき、近づきすぎてしまう自分を省みる。過去から続くふたりの不安が見え隠れし、ふたりのコミュニケーションが揺らぐ。言葉を通した気持ちの交流が最も描かれるシーンでもあり、そのあたりの細かなニュアンスをふたりと時間をかけて話し合いました。潮なりの言葉で清澄の抱えたものの重しを少しだけ軽くしてくれるシーンでした。 ──清澄と潮の関係性は、恋愛関係のようでありながらひと言で言い表せないと思うのですが、どのように描いていきましたか。 風間 捉え方はもちろんさまざまあると思うのですが、人と他者の関係性に名前をつけたり、良し悪しを決めたりせずに、関係性そのものを描きたいという思いを持ちながら、ふたりを、そして清澄と人との交わりを見つめていました。