吉田沙保里の東京五輪への本気度
味わいの違うV14
世界選手権を11連覇、五輪と合わせて世界14連覇を果たした瞬間の吉田沙保里は、これまで何度も味わってきた世界一の瞬間のように喜びを爆発させることはしなかった。少しホッとしたような、悔しささえ滲ませた複雑な表情を見せていた。 決勝戦の最後の10秒は攻めずに流した。 「攻めようかと思ったけれど、失敗すると怖いと思って」 大差をつけたいという欲をこらえて勝利をつかんだため、今までとは違った味わいの勝利だったようだ。 2012年はロンドンで五輪3連覇を遂げ、続けて世界選手権を連続で制した吉田は、レスリング選手としては初めて国民栄誉賞も受賞し「いいことばかりの一年」を過ごしたという。3歳から始めたレスリング中心の生活を休むことも初めて経験した。練習も含め競技を休養していた間、イベントやテレビ番組など様々な場所で、からりと陽気な笑顔を振りまく姿を見かけた人も多いだろう。 しかし、今年2月の国際オリンピック委員会(IOC)の理事会が、きっかけにいいことばかりではなくなっていた。レスリングが五輪の中核競技から除外され、2020年五輪から実施されないかもしれない事態に陥ったのだ。それ以前から積極的に関わっていた2020年東京五輪誘致とあわせ、レスリングの五輪競技存続問題を世間に訴える役割をも吉田は担うことになった。 現役選手として勝ち続けなければならず、競技を代表する象徴となったうえに、五輪や競技そのものの存在意義も訴える立場まで担わされる。競技に没頭するだけでは許されない状況に立たされれば、その慣れない環境にスポーツ選手は、どこか陰りがある考え方に陥りがちだ。ところが吉田はどこまでも陽気な性分を失わなかった。 「東京に五輪も決まったし、レスリングも続くことになったし、世界選手権でも優勝できたし。終わってみれば、いい一年だったと思います」 世界選手権での激闘を終えて「腰も痛いし、本当に疲れた。明日は全身筋肉痛ですよ」とぼやきながら、よかったこととして振り返った吉田の発言のなかで、唯一、数ヶ月前とトーンが変化している項目がある。2020年東京五輪への出場可能性だ。