吉田沙保里の東京五輪への本気度
吉田の進退を左右する新階級制度の行方
もともと、数年先など遠くの目標設定をしないのが本来の吉田の性格である。ところが、2020年東京五輪誘致のアンバサダーに任命されたこともあってリップサービスも込めて「止められても出場します」というキャッチコピーを自身の本音であるかのように公言してきた。だが、いざ東京での五輪が本当に決まり、レスリングの存続も決定してからは、少なくともスポーツ報道の取材の場でそういった言葉をはっきり口にすることはなくなった。では、吉田の本音は2020年東京五輪をあきらめつつあるのか。いや、具体的に実現しようとしているから、トーンが変化しているとみるべきだろう。 吉田の発言の変化をみると、女子レスリングにとって初めての五輪を控えた2004年アテネ五輪代表決定戦を前にした、当時のベテラン選手のある言葉を思い出させる。 「夢というのは"夢"と言っていられるうちは甘くて幸せ。でも、その夢が突然、現実のものになって、そこへ向かって具体的にやらねばならないことが決まってくると、だんだん口にするのが怖くなりました」 2020年まで世界一のまま現役を続けることを単なる夢で終わらせないために、吉田の発言は慎重になっているとみるべきだろう。 今年の世界選手権に出場した55kg級の選手のなかで吉田は最年長だった。今シーズンから2分3ピリオド生から3分2ピリオドに試合時間が変更され「ベテランには正直、長いですよ」と苦笑いしたほどだったが、若手選手が果敢に挑んでくる様子を楽しんでいる余裕も感じられた。 レスリング選手としての吉田にとって死角は存在しないのか。弱点へのヒントは「やりにくかった」「怖かった」と振り返った今回の世界選手権決勝に潜んでいるだろう。 手足が長く、一階級上の59kg級で世界のトップクラスを戦ったことがある決勝の対戦相手、スウェーデンのマットソンはタックルによる攻撃回数も多く、懐が深く筋力も強い。かつて吉田と激しく日本代表を競った当時の山本聖子が、似たような特徴を持った存在だったといえる。そういったやりづらい若手選手に囲まれるときがきたら、吉田は自らの競技生活について、どのような判断をするだろうか。 現在、新しく提案されている新階級制度によって55kg級が無くなり、吉田がこれまでよりも大きな選手と戦わねばならぬ状況に追い込まれるとしたら聡い彼女は女王らしさを失わないうちに現役選手にこだわることを辞めてしまう可能性が高い。実際には、新階級制度は今大会中に開催された理事会でも確定に至らず、実施の時期は先送りされ、来年も現行の階級制度でレスラーたちは争うことになりそうだ。 ベテランがさらに経験を蓄積してうまさを増すスピードと、階級制度やルールの変更の波に乗る若手の成長。この二つの競争の行方が、7年後、東京五輪で吉田の姿をマット場にみられるか否かにかかっていそうだ。 (文責・横森綾/フリーライター)