「母親の特攻服を着て中学の卒業式へ」「刑務所に行かないレベルでいろいろやってた」元ヤン鈴木綺麗を変えてくれた『egg』への感謝と家族への思い
タピオカを買いに行ったらスカウトされた
ーー「egg」モデルになったことが、鈴木さんの人生のターニングポイントになっていると。 私の人生の中で、最大の出来事だと思いますね。あと60年くらいで死ぬかもしれませんが、『egg』モデルになれたのは、宝くじに当選したくらいラッキーなこと。 ーーそもそもモデルになったきっかけは何だったのでしょうか? 16歳のときに、「SHIBUYA109」にタピオカを買いに行ったらスカウトされたんです。SHIBUYA109の中に当時「SBY」という飲食店があったんですが、そこがギャルサーとか渋谷に精通している人が働いていて、いわゆる「ギャルの聖地」だったんですよ。ギャルを見つけたら、ギャルサーかモデルとしてスカウトする、みたいな。 私はそういう場所と知らずに、たまたまSBYに立ち寄ったときに、「『egg』が復活したんだけど、あなためっちゃギャルだから、モデルやってみない?」と声をかけられたんです。 ーー親御さんに相談はしましたか? 当時はとにかく刺激が欲しかったので、速攻OKしましたね。『egg』がどういう媒体なのかも全然知らないのに(笑)。実はモデルになること自体、誰にも言っていなかったんですよ。うちにはご飯を食べながら、今日あったことを話すみたいな会話がなかったですし、お互い干渉するってこともなかった。 母からは「お前、最近東京行ってない? 悪いことしてない?」ってよく聞かれてました(笑)。その後、母は働いているお店のキャストさんから、「あなたの娘、モデルやってない?」と言われて、そのことを知ったみたいです。
近所でも「あの家はヤバイ」とか言われていて
ーー田舎の“やんちゃ”な女の子が突然『egg』モデルとして活動することになるんですが、苦労しませんでしたか? 苦労しました本当に(笑)。最初の仕事はYouTubeで「企画、サムネイル、撮影、全部自分でやってね」と言われるんです。何もわからないまま見よう見まねで頑張っていました。 企画でスッピンをさらすのは当たり前だったし、雑誌の撮影なのに交通費が出ないロケもありましたし……「私、いま何してんの?」と不機嫌になりながら仕事していました(笑)。 でも当時は今ほどYouTubeがメディアとして主流ではなかったですし、モデルがスッピンをさらしてリアルを届けたりとか、私が参加し始めたころの『egg』は、すごく最先端なことにチャレンジしていたんだなと思います。 ーー6年間『egg』モデルとして活動して、いかがでしたか? あっという間でしたね。とにかく深い6年間でした。 一番よかったのは『egg』モデルを経験したおかげで、親とも仲良くなれたことです。母とは昔から犬猿の仲で「テメェこの野郎!」って殴り合いしてたんです。本当にめっちゃ仲悪かったんですよ。 だから祖母に育てられたんですけど…。昔は近所でも「あの家はヤバイ」とか言われていて。でも芸能界に入ったことで、状況が変わり、祖母にとっても誇らしい存在になれたようです。 母とも昔より普通に話ができています。だから、親と仲良くなれたのも『egg』のおかげ。生きているうちに、親孝行や恩返しをしたいと思うようになりました。 取材・文/毛内達大 写真/石田壮一
鈴木綺麗
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