日産ダットサン・サニー1000(昭和41/1966年4月発売・B10型型)【昭和の名車・完全版ダイジェスト034】
この連載では、昭和30年~55年(1955年~1980年)までに発売され、名車と呼ばれるクルマたちを詳細に紹介しよう。その第34回目は日本のマイカーブームの立役者、日産ダットサン・サニー1000の登場だ。(現在販売中のMOOK「昭和の名車・完全版Volume.1」より) 【写真はこちら】 ここで掲載している写真は、注釈のないものはすべて昭和42年4月に追加設定された4ドアのもの。(全7枚)
本格的モータリゼーション牽引の主役。質実剛健な作りで技術の日産の面目躍如
サニー 1000が登場した昭和41(1966)年はすでに名神高速道路が完成し、昭和44(1969)年には東名高速道路も開通しようかという、日本のモータリゼーションが本格化する時代だった。 ちなみにサニー(Sunny)という名称の意味は、「太陽がいっぱい」「明るく快活」「若々しい」といった意味で、日産がこのモデルの今後にかけた期待を象徴している。 サニーの当初の設計は800ccクラスだったとも言われるが、先述のとおり高速化する環境に対応するために1000ccとされた背景もあるようだ。他メーカーのラインナップを見ても、コルト1000、ダイハツ・コンパーノ ベルリーナ800の発展型であるベルリーナ1000、スバル1000があり、昭和41(1966)年秋にはトヨタが1000ccクラスに新型車を投入しようとしていたのだからサニーだけ800というわけにはいかなかっただろう。 サニー1000は、オーソドックスなセダンスタイルだとはいえ個性的な部分もある。ノーズがかなり長く、逆にトランク部分の出っ張りが小さくされ、リアウインドウの傾斜したスタイルは、いわゆるファストバック的なもので当時としては斬新だった。 ボディの仕上げの良さも目立った。サイドにプレスラインを1本入れてあるが、当時のクルマには珍しく粗雑さがまったく見られない。ドアの立て付けも正確でボディにピタリとはまり込んでいる感じに仕上げられている。 ボディに関しては補強メンバーなどを使用しないフルモノコックボディで、強度と軽量(スタンダード:625kg)を両立させるのにひと役買っていた。 搭載されるエンジンは1Lの直4OHVで、かなりショートストローク型となっている。シリンダーヘッドにはアルミを用いて熱効率の向上が図られるなど、当時の最先端の設計となっているのも特徴だ。そのためもあり、エンジン単体重量が91.5kgというのも全体の軽量化、操縦性の向上に役立っていた。 最高出力は56psを発生するが、正確には988ccなので1ℓ当たり56.6psとなり、これだけ見てもこのクラスでは当時の高性能エンジンといえた。 トランスミッションはコラム式の3速MTを採用した。当時、すでにフロア式の4速MTが多くなっていたが、3速にしたのはフレキシブルなエンジン特性と合わせてイージードライブを狙った結果だった。 7.7kgmのトルクを3600rpmで発生するというエンジン特性も、ひとつのギアのカバーする範囲を広げ、このトランスミッション採用の理由となっている。ただし、4速MT車より古さを感じさせる面もあり、この判断が正しかったのかどうかは微妙なところだ。 サスペンションはフロントが横置きリーフスプリングを使用したダブルウイッシュボーンで、リーフスプリングは左右両輪にまたがって装着されている。リアは半楕円リーフスプリングを採用したリジッドアクスルだ。最小回転半径が4mと当時としても小さく、まだ矮小な路地が残る都市部の道を走るのにも利便性が高かった。ブレーキはフロント/リアともに油圧によるドラムを採用した。 ボディサイズは当時の1000ccクラスのクルマの中でもコンパクトな方だったが、室内に関しては広さを確保していた。シートはフロントがセパレートシート、リアがベンチシートとなっている。とくにフロントはバケットシートとまではいえないにしても、このクラスの乗用車のシートとしてはかなり本格的なものとなっていた。 サニー1000は発売後、それ自体としては高い評価を受けることとなり、以後、日産の大衆車の代名詞としてサニーの名は長く使われていく。だがサニー1000発売直後にトヨタがカローラ1100を発売。以降、サニーとカローラは大衆車のライバルとして競合していくことになる。