【デーブ大久保コラム】内角が好きな私にシュートを臆せず投げ込んできたのは盛田幸妃でした
【デーブ大久保 さあ、話しましょう!】 いまだに「今日の巨人はどこと試合だっけ? 大洋?」と言ってしまいます。それだけ横浜DeNAベイスターズに対し、小さいころのイメージと、西武に入団してからのファームでの対戦で、私の脳裏には「大洋」の名前が強く残っているようです。小さいころから巨人ファンだった私としては、その大洋に対しては「巨人に勝ってほしくないチーム」という印象でテレビ観戦していました。 【選手データ】盛田幸妃 プロフィール・通算成績 それでもスーパーカートリオの3人(屋鋪要さん、高木豊さん、加藤博一さん)、田代富雄さん、投手では遠藤一彦さんというすごい選手たちが在籍しているという印象が強かったですね。プロ野球選手になってから二軍、イースタンの試合で大洋と対戦をしていました。一度、調整でカルロス・ポンセが来たときには「あのポンセがいるよ!」と少年時代に戻ったかのようにワクワクした記憶があります。また、イースタンの試合に調整登板として来た斉藤明夫(齊藤明雄)さんと対戦したことがあります。 いやあ、怖かった記憶しかないですね。ヒゲを蓄えて目つきが本当にギラギラしていて……私が打席の中で足場を整えているときでも「早くしろよ!」というようなオーラをマウンドから放っていた記憶が鮮明に残っていますし、おっかなかったですよ。今では「あきおさ~ん」と言わせていただいていて、本当に優しい方です。 大洋から横浜ベイスターズに変わる時期には佐々木(佐々木主浩)と盛田(盛田幸妃)がリリーフ投手として活躍していました。佐々木からは一度、3ランを打ったことがあり、当時の長嶋茂雄監督から「監督賞30万円」をいただきました。その金額がスポーツ紙などに掲載されたので……今でも佐々木に会うと「あのときの監督賞で、おごってもらってないですよね(笑)」とイジられます。佐々木は本当に人間的に尊敬できる後輩です。律儀で、それでいて誰にもこびずにはっきりと自分の意見を言える人間です。 もう一人、盛田にもたくさんの思い出があります。若いころはイースタンでよく対戦し、一軍に上がり活躍し始めたのも私と同じくらいでした。彼の代名詞は皆さんもご存じでしょうが「シュート」でしたよね。しかし、私にとって内角への速いボールは大好物でしたので、彼は打ちやすい投手でした。でも盛田は負けん気が強いので、打たれると分かっていてもどんどん投げ込んできていました。1994年6月の横浜戦(東京ドーム)での1対1の11回裏。私は途中出場で、最初の打席となる場面で盛田からレフトポール際へサヨナラ本塁打を放ちました。 一度、盛田に直接「オレが内角を好きなの知っているよね」と聞いたことがあり「そうっすよね」と笑って答えていました。それでもそのあとも、内角にシュートを投げ込んでくる投手でしたね。「こいつ本当に負けん気が強いなあ」と感じながら対戦していました。顔もかっこよく、投球フォームはダイナミックで、本当に素晴らしい投手でした。
週刊ベースボール