司法はもはや「物事の理非で決着がつけられる世界」ではない…日本のヒエラルキー的官僚組織の「深い闇」
日本のヒエラルキー的官僚組織の『深い闇』
この方は、もちろんその本質においては繊細であったと思うが、外面的には、きわめて個性的、積極的、豪快で、一見するとおとなしそうにみえる私などとは違って、議論も論争も派手にやった。当然、裁判官の中には、彼をきらう人や嫉妬する人も多かった。それでも、倉田さんは、61歳で身体をこわして公証人となるまで、みずからの意思で裁判官を続けた。エッセイを読むと、色々不快なこともあったようだが、裁判官という職業には最後まで満足されていたように思われる。 しかし、その30年後、外からみれば倉田さんよりははるかに普通の裁判官にみえたに違いない、また、研究、執筆についてはかなり先鋭であっても、裁判実務においてはおおむね良識派のレヴェルを守っていた私は、裁判所、裁判官に絶望し、40代の終わりから転身を考えざるをえなかった。 正直にいえば、アメリカの裁判官であればまだしも、日本のヒエラルキー的官僚組織において官僚裁判官を務めるのは、学者肌の私には、元々無理があったのかもしれないと思う。私が徐々に研究、執筆に打ち込むようになった経緯と、私が徐々に組織から締め出されていった経緯とは、明らかに照応しているからである。 しかし、一方、裁判所が少しずつ悪くなっていったという時代の流れもまた、否定できないように思われる。キャリアシステムの中で育ち、かつてはそれに一定の愛着をも抱いていた私が、本書で論じるとおり、法曹一元制度をできる限り早期に実現するための基盤作りに着手すべきだと考えを変えるに至った一番の理由は、もはや、現在の裁判所に、ピラミッド型のキャリアシステムに、そして、それに馴れ切ってしまった多数派の裁判官たちに、制度の自浄作用を期待することは到底無理ではないかという現実認識による。 『事務総局の方針に意見を述べただけで「不利な人事」…良識派ほど上に行けない、裁判所の腐りきった「実態」』へ続く 日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。 「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」 これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)