関西ラジオ界の巨匠・浜村淳 朝の生ワイドを50年続けた理由は「替わってくれる人がいなかった」
関西ラジオ界のレジェンドパーソナリティーで映画評論家の浜村淳さんが、ラジオ関西の番組にゲスト出演。2週連続出演の後編となった19日放送回では、浜村さんが50年もの間パーソナリティーをつとめてきた冠ラジオ番組の歩みについて振り返るとともに、番組の最後にはある目標も明かしました。 【写真】神戸・ハーバーランドにあるエルビス・プレスリー像と笑顔で写真におさまる関西ラジオ界のレジェンド・浜村淳さん 浜村さんがパーソナリティーをつとめる冠ラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)は、1974年から放送が始まり、2024年春に満50年を迎えた、関西のラジオ史に燦然と輝く大長寿番組です。平日の朝生ワイドは3月をもって幕を閉じましたが、4月からも土曜日の放送は継続。「さてみなさん~」という名せりふをはじめ、浜村さんのはつらつとしたトークは、89歳の今も健在です。 50年続けてきた番組のルーティンとして、午前8時からの生放送だったため、浜村さんは毎朝4時半に起床して放送局へ向かっていたそうです。到着後は、局内に届いたすべての新聞や週刊誌などに目を通し、どのような話題を取り上げるかを考える……といった生活を続けてきたといいます。 なぜ50年も続けてこられたのか、その真相について問われた浜村さんは、「替わってくれる人がいなかったんです」と、予想外のコメント。 「最初は2年くらいのつもりだったんですが、いざ(番組が)始まったら、誰も替わってくれない……。もう1年、もう1年と延ばしているうちに、50年が経っていました」と明かす浜村さん。 この話を聞き、ラジオ関西『としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!!』パーソナリティーで、元フジテレビアナウンサーの田中大貴さんは、「毎日・同時刻に放送される番組を業界では『帯番組』と呼ぶのですが、毎日決まった時間に必ず放送局にいないといけない。かなりのプレッシャーもあるでしょうね」と、かつて朝の帯番組『とくダネ!』(フジテレビ)のMCを経験した者として、浜村さんに共感する様子も見られました。 さらに浜村さんは『ありがとう浜村淳です』の番組タイトル決定の背景についても、次のように語ります。 「『ごめんやす……』というのも候補にあったのですが、すでに他の番組に使われていました。他にも『ぼちぼち行こうか……』という候補もあり、それも面白かったんですが、他局で使われていると。そのように、なかなかタイトルが決まらなかったので、『今日はもう会議をやめよう。明日にしよう』となって『今日は皆さん、おつかれさん! ありがとう! ありがとう!』と言っているうちに、その『ありがとう』のフレーズが良いんじゃないかとなって、タイトルが『ありがとう浜村淳です』に決まったんです」(浜村さん) 前回と今回の2週にわたってゲスト出演し、MBSと同じ関西で、神戸にあるラジオ関西の本社スタジオに赴いた浜村さん。「(ラジオ関西は)とてもおしゃれな放送局で、きれいですね! 神戸自体がおしゃれな街。この番組が終われば、ちょっとどこかに遊びに行きたいくらい」とコメント。 また、浜村さんは、オンエア中の楽曲リクエストにはプレスリーの『監獄ロック』をチョイス。そのときには、プレスリーに関する秘話なども明かしたうえで、「いまだにプレスリーの歌は大好きです!」と述べ、ラジオ関西本社そばにあるエルビス・プレスリー像にも感激の様子。「帰りには、(プレスリー像を)必ずおがんで帰ろうと思います!」とにこやかに語っていました。 番組の最後に、今後の野望について問われると、「自分で監督をして映画を1本作りたい。観るばかりではなく、自分でも作ってみたい」と、映画愛あふれる浜村さんらしい目標を打ち明けていました。 ※ラジオ関西『としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!!』2024年8月19日放送回より
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