国際レースで日本チャンピオンの山本大喜がスプリントを制し優勝|ツール・ド・おきなわ
国際レースで日本チャンピオンの山本大喜がスプリントを制し優勝|ツール・ド・おきなわ
11月12日(日)、沖縄県名護市及びやんばる地域を中心とした沖縄県北部地域で「第35回ツール・ド・おきなわ2023」が開催され、市民レースと並行してUCIレースである男子チャンピオンレースがフルコース200kmで開催された。 前半に孫崎大樹(キナンレーシングチーム)ら6名の選手が先行する中、残り約25km地点ですべての逃げ集団が吸収され、レースは振り出しに。 残り約5km地点でアタックを成功させた風間翔眞(シマノレーシング)と山本大喜(JCL TEAM UKYO)が逃げ切り、2名でのゴールスプリントを制した山本が、日本チャンピオンになってから初優勝を挙げた。
風間翔眞とのスプリントを制し、山本大喜が勝利
11月12日(日)、沖縄県名護市及びやんばる地域を中心とした沖縄県北部地域で「第35回ツール・ド・おきなわ2023」が開催され、市民レースと並行してUCIレースである男子チャンピオンレースがフルコース200kmで開催された。 新型コロナ禍前まではコース終盤に羽地ダムへの上り区間を右折するコースレイアウトで210kmのレースとして開催されていたが、右折後の区間で昨年土砂災害があり、道路が復旧できていないため、昨年同様、今年も羽地ダムへ右折する箇所を直進する形で200kmのレースとして開催された。 前日からの雨が降り続き、肌寒さを感じる天候の中、選手たちは6時45分にスタートを切る。 本部町から今帰仁村を経由して与那へ向かう前半の海岸線区間では、例年どおりアタック合戦が行われ、何度かアタックと吸収を繰り返した後、4名の選手が抜け出すことに成功する。 さらに白尾雄大(さいたま那須サンブレイブ)とら2名がブリッジを仕掛け、最終的には以下の6名が先頭集団を形成する。 さらにエンクタイヴァン・ボローエルデン(モンゴル、レバンテフジ静岡)とカーズ・クース・ジェローン(オランダ、WPGA)も追走の動きを見せるものの、先頭とのタイム差が5分あったこともあり、2名は追走集団という形で位置する形に。 6名の先頭集団は協調して普久川ダムへの上り区間へと突入し、1回目のKOMポイントでは孫崎が仕掛け、1着通過。 6名の先頭集団はその後も協調し、メイン集団とのタイム差は最大で10分ほどまで広がるものの、普久川ダム後の辺戸岬~与那への海岸線区間に入ると、先頭集団にメンバーを送り込んでいないJCL TEAM UKYOやシマノレーシングらがメイン集団をコントロールし、タイム差を徐々に詰めていく。 先頭集団は2回目の普久川ダムへの上り区間で少しずつバラけ始めると、2回目のKOMポイントでも孫崎が1着で通過し、山岳賞ジャージを確定させる。 一方メイン集団でも2回目の普久川ダムへの上り区間でフランシスコ・マンセボ(スペイン、マトリックスパワータグ)がアタックし、ヴィクトワール広島勢のペースアップもあり、KOMポイントでのタイム差は約5分にまで縮まる。 普久川ダムからの下りを終え、終盤の勝負どころである羽地へと向かうアップダウン区間ではタイム差が2分30秒にまで縮まる。 タイム差が縮まったこともあってか、残り40kmを過ぎたあたりでU23のタイムトライアル全日本チャンピオンである寺田(シマノレーシング)が単独で飛び出すと、寺田はメイン集団まで約1分のタイム差をつける。 しかし、メイン集団も羽地に向けて徐々にペースを詰めていくと、残り約25km地点で全ての逃げメンバーをメイン集団が吸収し、レースは振り出しへ。 すると今度は山本元喜(キナンレーシング)のアタックをキッカケに、マンセボ、入部正太朗(シマノレーシング)、山本大喜(JCL TEAM UKYO)の4名が抜け出す。 残り10kmを切っても4名はメイン集団に対して先行するものの、羽地への上り区間で4名はメイン集団に吸収される。 カウンターでネイサン・アール(オーストラリア、JCL TEAM UKYO)が単独で飛び出し、ベンジャミン・ダイボール(オーストラリア、ヴィクトワール広島)らが追うものの、若干距離が離れる形となる。 アールの動きは残り5kmでキャッチされると、今度は風間翔眞(シマノレーシング)がカウンターでアタックし、山本大喜が単独で追走する。 最後の平坦区間で山本が風間に追いつくと、最後は2名でのゴールスプリントに。 風間の後ろから先に仕掛けた山本が、一度後ろを振り返って勝利を確信すると、フィニッシュライン上で片腕を上げてガッツポーズを見せる。 今年の6月に開催された全日本選手権で初優勝を飾り、日本チャンピオンの証であるナショナルチャンピオンジャージをまとっての参戦となった山本。 約1カ月前に開催されたツール・ド・ランカウイ(マレーシア)で落車し、ケガを負ってしまった山本だが、ケガの影響を感じさせない見事な走りで、日本チャンピオンジャージをまとってからの初優勝をこのツール・ド・おきなわで果たすこととなった。