草笛光子が『赤い衝撃』で感じた17歳の山口百恵の“見事さ”「二人は恋をしているなって…」
90歳を迎えても主演映画『九十歳。何がめでたい』が公開されるなど、女優として活躍する草笛光子さん。とっておきの健康法や自然体の着こなし術、スターたちとの交遊録、女優人生70年の歩み、老い行く日々に思うことを綴った『きれいに生きましょうね 90歳のお茶飲み話』より「しっかりした娘」をご紹介します。(全3回の3回目/) 【画像】山口百恵さんとの出会いを話す草笛光子さん。
山口百恵さんとの初顔合わせ
テレビドラマ「赤いシリーズ」の第四作『赤い衝撃』(昭和五十一年~五十二年)で、私は山口百恵さんの母親を演じました。十四歳でデビューした百恵さんは、あのとき十七歳。歌はもちろん、映画やドラマにも引っ張りだこになっていました。 制作の大映テレビに行って、百恵さんと初顔合わせをしました。ほんの少しお話をしただけで、「若いけれど、実にしっかりしてる。これは見事な女だな」と感じました。十七歳の頃の私どころか、四十代前半だった当時の私よりも落ち着いていたのです。 プロデューサーは野添和子さん。女優の野添ひとみさんの双子のお姉さんです。顔合わせを終えて、私は野添さんに言いました。 「百恵さんと私に親子をやらせるなら、向こうをお母さんらしくして、私を娘の性格にしてくれます? 会って話してみたら、私のほうがずっと子どもみたいだから、よく出来た娘と、未熟で欠点だらけの母親でやらせてください」 親娘という設定だけで、台本の細かい部分はまだ決まっていなかったのです。 「なるほど、そういう手がありますね。作家に提案してみましょう」 と、野添さんは賛成してくれました。そして私は世間に疎(うと)い元芸者で、娘の面倒は見るけれど、どこか抜けている母親になりました。娘はしっかり者で、「お母さん、駄目じゃない」と言い、「あら、そうかい」と答える間柄です。 百恵さんが見事な女だという思いは、撮影が始まってから一層強くなりました。朝三時からロケに出発した日でも、夕方五時くらいになると「はい、そこまで」と言われて、百恵さんは歌の仕事に行ってしまいます。そのあとは、同じ服を着た代役の方がスタンバイしていて、顔が映らないシーンを撮影するのです。こちらもやりにくいですけど、時間に追われてあっちこっち連れて行かれる百恵さんも、かわいそうでした。それでも耐えていたのが、いじらしく思えました。