「大阪生まれの在日コリアン3世」が、「文在寅元大統領の映画」を観て「愕然とした」理由
あまりにも空虚な「前大統領」の生活
結論を述べると、「元大統領の生活はこれほど空虚なのか」というのが、映画を見ての率直な感想である。5年間の慌ただしい大統領任期を終えたあと、やることは農作業くらいしかない。多くの人から尊敬され、熱狂のうちに仕事ができた日々から一転し、郊外でひっそり暮らすというのはあまりに寂しい。人間はそれほどのドラスティックな変化に耐えられるのか。僕は真剣に文在寅のメンタルの状態を心配した。 しかも、「反文在寅」を掲げる人たちが今でもデモをしに村にやってくる。これはかなりこたえるはずだ。よく辛抱しているなと思った。 文在寅のSNSを見ていると、わりと頻繁に更新しているし、本屋をオープンしたりしている。僕は「なんで今でもSNSを更新するのだろう。目立ちたいのか。一般人になりたいんじゃなかったのか」と訝しんでいた。 しかし、映画を見てわかった。大統領として重責を背負っていた日々からの変化が急激すぎて、SNSを更新でもしていないと、あまりに何もない日々に耐えられないのだ。一挙手一投足が注目された大統領としての職責と比べ、農作業しかない日々はあまりに退屈なのだと思う。「おじいさんのSNSくらい許してあげよう」と思った。 大統領制というのは、こういうところが難しい。日本のような議院内閣制だと、元首相であってもそのまま議員として活動する人は何人もいる。なんなら野に下ってからのほうが元気な人もいる。それは人間として自然なあり方だと思う。 想像してみてほしい。毎日スケジュールが詰まった日々から一転、明日からいきなり仕事がなくなるのである。普通なら「燃え尽き症候群」になってしまうと思う。 ドキュメンタリー映画というものは、製作者が意図しない印象が観客に伝わる。製作陣はおそらく、「栄光の日々を終えたのち、余生を充実して過ごす元大統領・文在寅」を描きたかったのだろう。しかし、僕には現在の文在寅の生活は空虚そのものに映った。大統領制の怖さをも感じた。仕事と人間の関係を考えさせられた。 もし、「人間・文在寅」への共感を呼び起こすのがこの映画の目的であったとすれば、意外にもその目的は達成されているのかもしれない。なぜなら、「文在寅、あんな退屈そうな日々で精神的に大丈夫かな」と心配している自分がいるからだ。「人間・文在寅」が魅力的に描かれた続編が仮にあるなら、また見たいと思っている。 * 韓さんは韓国留学でなにを発見するのか。【つづき】「「大阪生まれの在日コリアン3世」が、韓国に留学した直後「とにかく不便だった」意外なこと」の記事では、さらにその経過を追っていきます。
韓 光勲(ライター)