エースが名将に「頭にきた」 あと1死で勝利投手も…4点差で降板、納得いかず“面談直訴”
4点リードの5回2死一、二塁で打者・落合…交代令に「ちょっと頭に来たんですよね」
「ちょっとお時間をいただけますか」。元オリックスエースの星野伸之氏(野球評論家)はプロ14年目の1997年シーズン中に自身の起用法に関して、仰木彬監督と話し合ったことがあるという。その年の7月20日の日本ハム戦(GS神戸)で、4点リードの勝利投手の権利目前の4回2/3で交代。「あれは先発していて初めてのことだったのでね」。納得いかず行動に移したわけだが“仰木の考え”に触れて「逆にいい経験になった」と語った。 【動画】「永遠にネタにされる」星野氏が投じたスローカーブを捕手は素手で捕球に… 仰木監督といえば“相性野球”が有名だった。打つ確率を考えて打線も日替わりオーダーが珍しくなかったし、3安打していても代打を出されるケースは普通にあった。投手交代もしかり。抑える確率を考えて早め、早めが基本だった。「最初の頃、野手はけっこう文句言っていましたよ。でも勝っていくうちに、そういうのもなくなっていった。それで優勝したんですからね」。 星野氏の場合も完投が当たり前だった昔と違って、早めの交代ケースが増えたが「逆に言うと、もしかしたら、それで寿命が延びたかもわからないですね。その代わり5回まではしっかり投げなきゃって、ペース配分している場合ではないというのもありましたけどね」と振り返る。だが、6-2とリードした中で、4回2/3で命じられた交代は「その瞬間は、ちょっと頭にきたんですよね」と話す。 5回2死一、二塁で相手打者は星野氏にとって大天敵の4番・落合博満内野手だった。「4回1/3の時に(投手コーチの)山口(高志)さんが1回、マウンドに来たんですよ。『ここが正念場だから頑張れ』って。それで(3番の)片岡(篤史内野手)をいい当たりのレフトライナー。そしたら仰木さんが出てきた。あ、そういうことだったのね、最初から決まっていたのねって思いました。でも4点勝っていてのそれは初めてだったのでねぇ……」。
GS神戸の監督室で仰木監督と会談…すっきりした気持ち
即座に仰木監督のところに行ったわけではない。7月21日に前半戦が終わり、仰木監督が指揮を執り、星野氏も出場したオールスターゲーム(7月23、24日)の時に「オールスターが終わってからでいいのでちょっとだけお時間いただけますか」とお願いしたという。「仰木さんがグラウンドで歩いたり、ジョギングしたりしている時にね。『えーっ、そんなにいじめるなよ』と笑いながら言われました。僕も『いえいえ、そんなことじゃなしに』って言いながらね」。 その時の星野氏は冷静だった。「実はオールスターの時に(広島の)大野(豊)さんや(ダイエーの)工藤(公康)さんにも交代の時のことを話して『まぁまぁそんなに怒るな、怒っていいことはそんなにないぞ、切り替えて頑張れ』みたいなことを言ってもらったんです。それでちょっと落ち着いたというのがあったんですよ」。先輩2人から助言を受け、励まされてから仰木監督に会談を申し込んだわけだ。 球宴後にGS神戸内の監督室で星野氏は仰木監督と話をした。「そんなに長い時間ではなかったですけど、交代の時のことも含めて『星野伸之をどういうふうに見ていますか』と聞きました。仰木さんはあの場面について『あそこで長打を打たれたら1点差になって勝負がわからなくなるから代えた』ってはっきり言ってくれました」。腹を割って話をしたことで、気持ちはすっきりしたという。「『これからもしっかりやります』と伝えて話は終わりました」。 当時を思い出しながら、星野氏はこう付け加えた。「仰木さんの野球を理解してやっていて、もしもあれが5回2/3だったら僕はたぶん怒っていないよなって思いました。よく考えたら仰木さんが監督になって常に完投して勝っていたわけじゃないし、5回いってまで、6回いってまでだったら何回でもあったことだから、そこで怒るのはおかしいかってね」。この年の星野氏は14勝10敗。指揮官の説明に納得した上で、きっちり結果も出した。 「仰木さんはいろんな不満が出ることもわかっていながらやり方を変えずに貫いた。すごいなと思います。やっぱり情を見せたら試合がグチャグチャになりますからね。このことが一番よくわかったのは、自分がコーチをやってからでしたけどね。時が過ぎてみたら、逆にいい経験をさせてもらったなって思っています」。采配に対する意見、疑問点を、真っ正面で受け止めて対応してくれた仰木監督に星野氏はとても感謝している。
山口真司 / Shinji Yamaguchi