松山英樹は漫画『オーイ! とんぼ』の大ファンだった! あるシーンのワザに挑戦したことも。“世界の松山”に原作のかわさき健が直撃
松山 3番アイアンであんなに飛ばないよって(笑)。 かわさき はははは。 松山 あのバンカーから出せるのがスゴイですよ。 かわさき 漫画ですから、少し荒唐無稽なところがあるんですよ。でも単純に”3鉄”でポットバンカーから出したら面白いよねって いうので。ポットバンカーじゃなければ出るとは思うんですけれど。 松山 まあそうですね。でも、実際にああいうことを、昔のプロなんかはやっていたと聞くので。 かわさき 松山プロだったらできるのでは? 松山 3番アイアンではさすがにない(笑)。6番アイアンくらいは遊びでやります。チーム内でアプローチ勝負するときなどに、僕が6Iでやったりしましたね。でもとんぼみたいにはできないですよ。 かわさき 松山プロは、マスターズチャンピオンで確固たる地位を築いている大スターですけど、まだ何者にもなれていなかった頃……例えば、中学とか高校くらいのとき、言い方は悪いですが、その他大勢のなかの1人の選手だったときに、どういう気持ちでいたのかなって。それでも「上に行くぞ!」という強い気持ちでいましたか? それとも周りを見て「周りの連中上手いなあ」と思ってやっていたのか? それが聞けたら、今、その立場にいる子どもたちにすごく勇気になるんじゃないかな って。
「中1の全国大会で一緒に回った石川遼が衝撃だった」(松山)
松山 中1の終わりの春先に初めて全国大会に出て、一緒に回ったのが石川遼なんですけど、そのときの衝撃が僕にはすごくて。家に帰って父親に「すごいヤツがいた!」って言ったんですけど、「お前が下手だからだろう」と言われたんですけどね。 かわさき へえ、衝撃だったんですね。
松山 はい。でもやっぱり中2の夏になって、彼は全国で普通に勝ったので、すごいなあ、やっぱりこういうヤツに勝たないといけないんだろうなって思いました。そして中3の全国大会、初めての会場で、最終日最終組で一緒に回ることができたんですけど、目の前で優勝されて、やっぱりこいつはすごい、勝ちたい! と勝手にライバル意識を持って。彼は覚えていないんですけどね。そうしたら、高校1年生になって、ツアー(マンシングウェアオープンKBSカップ)で勝っちゃった(笑)。 かわさき そうなんですね。 松山 高校に入ってからもずっと同じような感じで。僕は高2で初めてツアーに出たんですけど、彼はその試合で優勝したりしていたので(マイナビABC選手権)。 かわさき でも、絶対に勝つぞ、追い越すぞという気持ちはあったんですよね? 松山 そうですね。世界というところにはまだ目が向いていなかったですし、高校生に勝つ、同世代に負けたくないと。いずれプロになって日本ツアーで優勝できたらいいなあ、くらいにしか思ってなかったんです。 かわさき どのあたりで世界を考えるようになったんですか? 松山 高校生のときもアジアの大会に行かせてもらって、面白い選手がたくさんいるんだなあと思ったりしましたけど、まだ何とも思わなくて。やっぱりアジアアマ(アジアアマチュア選手権)に優勝してマスターズに行けるとなったときに初めて、「世界ってどんなものだろう」と思ったのかな。 かわさき あのときですか、ちょっと意外です。