W杯でモドリッチが活躍 旧「ユーゴ連邦」紛争の歴史と現在
「6つの共和国」「5つの民族」「4つの言語」
ユーゴが解体したのは西バルカンの歴史的、民族的事情が原因でした。この地域は、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」があると言われるくらい複雑なのです。「1つの国家」とはユーゴのことで、セルビアやクロアチアなど6つの共和国による連邦国家でした。 もっとも、この表現は必ずしも正確ではありません。特に言語は、クロアチアでは「クロアチア語」と言いますが、これは「セルビア語」とほとんど同じです。日本語に例えれば、標準語と関西弁の違いもないくらいです。クロアチアはセルビアと仲が悪く、「セルビア語」を話していると言われたくないので「クロアチア語」と言っているのです。 マケドニア語、スロベニア語も同様です。以前、わたくしの秘書はベオグラード(セルビアの首都)からリュブリアナ(スロベニアの首都)の友人に電話して何の困難もなく話していました。 もともとバラバラな背景を持ったユーゴは、チトーの政治家としてのカリスマ性で統合を保っていましたが、彼の死後は民族主義の高まりも相まって、連邦は解体を余儀なくされたのです。
世界史から見る西バルカン
古代、西バルカンは東西のローマ帝国を結ぶ要衝の地でした。 しかし、その後、スラブ民族が侵入し、さらに下るとオスマン帝国およびオーストリア・ハンガリー帝国などに侵入・支配されたため、民族、宗教と国家が一致しなくなりました。 クロアチアとスロベニアはオーストリア・ハンガリー帝国に支配されたのでキリスト教カトリックです。 ボスニアはオスマン帝国の影響でイスラムです。セルビアもオスマン帝国に支配されましたが、セルビア人勢力が強かったので正教(ギリシャ正教やロシア正教と同系統であり、セルビア正教と呼ぶ場合もある)が主流です。 宗教以外では、イスラムの影響はセルビアの各地に残っています。田舎を旅行すると、いかにもトルコ風というか、イスラム風の音楽が聞こえてきます。 旧ユーゴにある国名や地名はしばしば世界史にも登場します。例えば、第一次世界大戦の引き金となったオーストリア皇太子夫妻の暗殺事件(1914年)が起きたサラエボは現在、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都です。犯行に及んだのはボスニア系セルビア人の青年でした。 さらに歴史をさかのぼると、紀元前の時代、アレクサンドロス大王で知られるマケドニア王国という国がありました。アケメネス朝ペルシアを滅ぼすなど大王の東方遠征によってギリシャ文化がオリエント文化と融合し、ヘレニズム文化が誕生したことでも有名です。とはいっても現在のマケドニア共和国との関係はなく、今年6月にはマケドニアを名乗ることに反発していたギリシャとの間で、国名を「北マケドニア共和国」に変更することが合意されました。これがマケドニアの国民投票で承認されれば、正式の新国名となります。