朝井リョウの新作『生殖記』には主人公を覗き見る謎の“観察者”が…『正欲』以来の長編作品を読んでみた(レビュー)
人間ならざる者の斜め上の視点から人界を観察する小説と言えば、夏目漱石の『吾輩は猫である』や北杜夫の『高みの見物』があるが、この系譜に一つの名作が加わった。 覗き見られるのは、家電メーカーに勤める三十過ぎの独身男性の生活だ。そろそろ会社の独身寮から退去しなければならない期限が近づいているが、残る同期二人の男女が交際中で、退寮とともに結婚へと一歩踏み出すかもしれないのに対し、主人公には独居以外の選択肢はない。 というのも、彼は幼いときから異性には興味が持てず、一方、同性の恋人も作れず、家族へのカミングアウトも重荷だからだ。それゆえ、他者との関りは最低限に抑え、みんなで一つのモノを運ぶ際に、手を添えはするものの力は入れずという、全般的にそんな生き方をしている。 生物学的な専門書を読みつつ、同性愛と共同体の関係について考える主人公に対し、観察者がより高い視点から省察を加える。 と言っても、主人公は決して深く考え詰めようとするわけではない。また、全知の神でもない観察者も、人類全体の同性愛文化を閲してきたわけでもなく、ここで何らかの明確な「解」が与えられるわけではない。同性愛が「自然」かどうかという論議も古代ギリシャ以来錯綜していて、共同体によってはむしろ自然(≒野蛮)でないからという理由で同性愛を上流階級の特権としたところもあったのだ。 かようになかなか一筋縄では答は出ないが、それでも本書はきっと共同体という物に対する新たな知見を開いてくれるだろう。 創世記の「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」という神からの命令を、先進国の人間たちはすっかり忘れているかのように見えるが、神ならぬ観察者はもっと冷静にこのことばの意味と出所を見つめている。この視点を共有すると、少子化の問題も全く異なる様相を帯びてくるだろう。 [レビュアー]伊藤氏貴(明治大学文学部准教授、文芸評論家) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
新潮社