「手裏剣戦隊ニンニンジャー」のお父さん役に「電車男」のネット住民役もこなす名バイプレイヤー、矢柴俊博の素顔とは?
穏やかな笑顔とメガネ姿で、さまざまな映画やドラマに出演してきた矢柴俊博。良き父親から陰湿な悪役までこなす、名バイプレイヤーである彼が、初の主演映画『本を綴る』公開を機に、自身のキャリアを振り返ってもらいました。 【画像】矢柴俊博さんの撮りおろし写真をみる。
裏方志望から始まった俳優人生
――幼い頃の夢は? 学校の先生になりたかったです。当時流行していた「熱中時代」「3年B組金八先生」といった学園ドラマの影響もありましたし、その後にお世話になった中学校の先生の影響も大きかったですね。 ――そこから、俳優を目指すようになったきっかけは? その後も、いろんなドラマを見るようになって、「北の国から」や「ふぞろいの林檎たち」の再放送を見たのがきっかけで、まずは脚本に興味を持つようになりました。それで「ふぞろい~」の脚本家だった山田太一さんのシナリオ本を読んだりして、山田さんにはファンレターも出しました。 その後、高校生になると、銀座の映画館で映画をたくさん観るようになって、ジム・ジャームッシュのような監督にも憧れるようになりました。 ――早稲田大学に入学し、演劇サークルに入られますが、そのときも脚本や演出をやられていたのですか? 1年生のときは、脚本・演出をやっていました。それがだんだんペンを使って世界を表現したり、台本片手に誰かに指示するというより、「自分の身体を使って、直接演じた方が得意だ」ということに気付き始めました。 その延長として、パントマイムについても勉強しました。演劇をやっている頃は演技をすることで、お金をもらえるなんてことはまったく考えられませんでしたね。小屋(劇場)を借りるなり、美術を作るなり、自分が出費するのが当然のことでしたから。
どこかで居場所を感じられた「ニンニンジャー」という作品
――その状況が変わり始めるのは、TVや映画など、映像のお仕事に関わり始めてからですか? 30歳が近くなり、一緒に芝居をやっていた仲間が就職したり、辞めたり、状況が変わっていったときに「異常なまでの情熱と労力を使っても、自分が作る演劇って面白くなくなっている」と感じ始め、完全に手詰まり状態になりました。 それで事務所に所属し、映像のオーディションを受けるようになり、CMなどに出演しつつ、映画監督が開くワークショップを受けていました。そこで監督さんにパフォーマンスを認めていただき、作品に使っていただくという30代を送ることになりました。 ――個人的には05年に放送されたドラマ版「電車男」で演じられた、文学マニアのネットの住民役が印象的でした。 ドラマ全体が注目されたことで、監督さんがメインキャラだけでなく、僕らが演じたネットの住民にもスポットを当ててくださったんです。それによって、世間にも顔を知ってもらえるようになりました。それが転機といえば、転機かもしれませんが、その後も『クライマーズハイ』「救命病棟24時」「手裏剣戦隊ニンニンジャー」、あと「鎌倉殿の13人」といった作品などで、小さな転機を迎えていったと思っています。個人的には、自分が思い描いていた役者になっていないので、まだまだと思っているのですが……。 ――ちなみに、「手裏剣戦隊ニンニンジャー」で主人公の伊賀崎天晴(アカニンジャー)と妹・風花(シロニンジャー)の父・伊賀崎旋風役を演じられたときの思い出は? テレビ朝日さん・東映さんから、「お父さん役でお願いできませんか?」と出演オファーをいただきました。ただ、僕は幼少期に特撮や戦隊モノをほとんど見てなかったこともあり、正直言うと最初は「どうしようかな?」という気持ちでした。でも、僕のお父さん役であり、天晴と風花の祖父でもある伊賀崎好天を演じるのが尊敬する笹野高史さんだと聞いて、「これは挑戦してみよう!」と。 そうしたら、特撮ファンの方々がまるで自分のお父さんを応援するように、凄く支持してくだったんです。役柄的なこともあると思いますが、それまでの作品とはそこが大きく違いましたし、どこか居場所を感じられて、本当に有難かったです。今でも「『ニンニンジャー』のお父さんがこの作品に出ている」とか、SNSでつぶやいてくれる方がたくさんいるんですよ。