怪物・井上尚弥と死闘を繰り広げた元王者の師匠が明かす「世界王者になるために必要な、シンプルだが最も重要なこと」
突然の師弟関係の終わり
ピントールが言う。 「ボクシングというのはさまざまなプロセスを経て、長い年月をかけて技術を磨き、選手に合ったスタイルを築き上げていくものなんだ。規律を守らなければ、毎日毎日のプロセスを踏めないし、計画通り進めることができない。すべての土台になるのが規律だよ」 二人は会話を大切にした。ピントールはボクサーとしての経験を伝え、持っているものすべてを授け、エルナンデスは師を信頼し、慕った。 技術面ではエルナンデスの構えから直し、基礎を丁寧に教えた。特にピントールが得意としていたボディーブローの大切さを説いた。何度もボディー打ちを反復する。右のボディーストレート、左のボディーフック。毎日毎日、動きが体に馴染むまで繰り返した。 強くなるのに秘密や秘訣はない。ただ練習をするだけ。その考えは二人で共有していた。 師弟関係は突然終わりを告げた。 エルナンデスは二〇〇六年三月にプロデビューを果たし、一回TKO勝利で飾った。 メキシコの新人王にあたる「シントゥロン・デ・オロ」の決勝戦も一回で仕留めて優勝。最優秀選手に選ばれ、賞金二万ペソとトロフィーを手にする。周囲からは早くも「世界チャンピオン候補」と呼ばれた。 七戦全勝六KOで迎えたプロ八戦目、期待の新星として、日本のリングに招かれた。 ピントールが経緯を語る。 「確か、帝拳プロモーションからWBCに『いいプロスペクト(期待の若手選手)はいないか』と要請があったんだ。ローマン・ゴンサレスがそうなったように、帝拳はもし可能ならば、外国人王者に育て上げて売り出す計画があったのだろう」 二〇〇七年五月三日、東京・有明コロシアムで行われたトリプル世界戦、WBC世界バンタム級王者長谷川穂積、WBA世界スーパーフェザー級王者エドウィン・バレロ、WBA世界スーパーフライ級王者名城信男の前座に登場。百十三ポンド(五十一・二五キロ)契約六回戦で韓国の孫京辰(ソン・キョン・ジン)に大差判定勝ち。 翌月には東京・後楽園ホールでフライ級六回戦に出場し、デスペラード泰に四回二分四十秒TKO勝ち。将来を嘱望されたエルナンデスは二度の来日を果たし、注目度を高めていった。