「一人にして、ごめん」用水路に落ちた2歳の娘に 母の10年の胸中
2014年5月、自宅から数百メートル離れた農業用水路で、新潟市に住む女性(44)の長女は見つかった。 【図表】娘を亡くした母の10年 用水路での転落事故 防ぐには 「あの子が見当たらないんだ」。連絡を受け、女性は職場から急いで駆けつけていた。 昼過ぎまで家の中で遊んでいたが、その後、行方が分からなくなった。家族の目が離れた隙に外へ出て、自宅近くを流れる用水路に落ちてしまったようだった。 娘はもうすぐ3歳になるはずだった。 事故を防げなかった自責の念にかられ、娘の死を受け止められなかった。 みかねた友人が、声をかけてくれた。「署名するなら手伝うよ」 女性は夫や友人らと会を立ち上げ、活動を始めた。県内の危険な用水路に柵やフタなどの安全措置を公費で施すよう行政に求めるため、各地で署名を呼びかけた。 15年春、8千筆余りの署名を集めて、担当者に渡した。事故から1年が経過し、県内各地の危険な地点で、柵や注意を呼びかける看板の設置は進んだようだった。 ただ、活動が一段落しても、悲しみは消えなかった。 娘は、ときどき夢に現れた。「なんで私、起きちゃったんだろう」。女性は泣いた。 少しずつ顔を上げられるようになったのは、新たな命を授かってからだ。 事故の後、三男、四男が生まれた。小さな子どもたちの世話にあたるため、心にムチを打ってでも動かなければならなかった。 上の子どもたちもたくましく育っていった。ふとした時に沈んでいると、次男は「ママ、泣いてない?」と助けを出す。 「オレがいるだろ」。ぶっきらぼうながら、長男もそんな風に、声をかけてくれた。 2021年からは友人の誘いでヘルパーの仕事を始めた。今年4月、かつての仕事だったケアマネジャーにも復帰した。 居間の祭壇には、娘のお骨。まだ動かすことはできない。「ねぇね、お菓子ちょうだい」。下の子がお供え物をもらおうとする時には、そう声をかけてゆく。 日常の風景は10年で変わった。けれども、新たに歩み出したわけではない。重い足を引きずるような日々だ。 あの子が生きていたら、もういくつ――。周りからそう言われると、分かってはいても苦しくなる。「死んだらそこで、その人の時間は止まってしまうのだから」 息子たちがいなければ、生きてこられなかった。「じゃあ、この子たちに、私は何が出来るんだろう」 答えは出ない。ただ一つ言えるのは、毎日を懸命に生きるということだけだ。 そうして、いつかその時が来たら、向こうで娘に謝りたい。 一人にして、ごめんねって。 ◇ 子どもの事故予防に取り組むNPO法人「Safe Kids Japan」理事長で小児科医の山中龍宏さんは、「用水路は水量や流れる速度の変化が激しく、ある時期リスクが跳ね上がることもある。水が少ないから安全というものでもない」と話す。 その上で「極端に言えば、保護者が気を配らなくても、何も問題が起きない社会を作るべきだ。保護者に任せきりにするのではなく、テクノロジーを活用しながら、各自が知恵を絞らなければならない」と指摘する。(山本悠理)
朝日新聞社