街の発展とともに60年。名古屋テレビ塔の歩みとこれから
6月20日に開業から60周年を迎えた、名古屋テレビ塔(名古屋市中区)。1954年に日本初の集約電波塔として誕生し、街のシンボルとして親しまれてきた。名古屋の発展とともに歩んだ60年の歴史をたどりながら、アナログ放送停波による影響など課題も含めて、今後の展望を探ってみたい。 ■東洋一の高さを誇るタワーの完成 1958年のテレビ放送開始にともない、名古屋の都心に建設された名古屋テレビ塔。日本初の集約電波塔は、高さ180mで当時としては東洋一の高さを誇るものだった。後に東京タワーや通天閣、さっぽろテレビ塔なども手がけ、“塔博士”と称された内藤多仲博士による設計。当時は工事用機材がなく、基礎の土堀はツルハシとスコップで、鉄骨を人力で揚げるなどすべて手作業だったが、人海戦術により工期9か月間で完成した。航空法により、地上60m以上の建物は塔や煙突は赤白塗装が義務付けられているが、この法律制定前に完成したため、銀色の塗装となっているのが特徴だ。 戦後の復興が進む街に誕生した巨大なタワーに市民は大いに沸く。1954年6月20日の開業日には、展望台へ登るエレベーターに3時間待ちの行列ができた。1955年には早くも展望台の入場者が100万人を達成。同年に展望台で初の「空中結婚式」、翌年には展望台まで階段で駆け上がる「クライミング競争」を行って注目を集めるなど、さまざまな話題を提供した。1989年には名古屋市制100周年記念事業「名古屋デザイン博」の開催にあわせてライトアップがスタート。名古屋のランドマークとして、昼夜を問わず大きな存在感を放っている。
■ライバル出現でリニューアルを図る 発展を続ける名古屋の都心には、高層ビルが次々と誕生。展望施設としても、1989年に東山スカイタワー、1999年にはセントラルタワーズ展望台「パノラマハウス」が開業するなど、名古屋テレビ塔の展望施設としての希少性は次第に失われていく。入場者数も減少傾向が続き、2004年度には開業以来最少の18万1497人を記録。魅力向上を図るべく、翌年にはリニューアルを開始する。団体用の食堂やゲームコーナーなどが置かれていた4Fは、2006年、株式会社ゼットンによる「タワーレストラン」と、作家が手がける雑貨を販売する「パークギャラリー」としてリニューアルオープン。展望フロアからはゲーム機などが撤去され、シンプルな空間となった。