【三者三様の人生模様から読み解く中華人民共和国の今】富裕女性のツアー、失業青年、北米移住を目指す起業家
Mの心中を察してみると負け組青年の重い現実が
Mのお陰で不愉快な2日間を過ごしたが、Mという人間がどうにも不可解だった。Mはメイドをはじめスリランカ人全般について、礼儀を知らない非文明人だとバカにしていた。メイドは稀に見る働き者でゲストハウスは掃除が行き届きリネン類は清潔であった。しかも英語は日常会話に差し支えないレベルでMとは雲泥の差であった。 放浪ジジイは50年前の学生時代に南欧・モロッコを3週間ほど貧乏旅行したことを思い出した。当時外国語は一切話せず英語もカタコトにも及ばないレベル。言葉が通じないので買い物やレストランで常に騙されまいと猜疑心の塊となりバカにされないように虚勢を張っていたように思う。そして日本に比べれば、外国は不便で遅れていると思い込んで内心では訪問国の人々をなんとなく軽んじていたのではないか。なにかMの心情が分かるような気がした。 Mは地元の工場に長年勤務していたが、人員整理で失業。特段の技能も学歴もコネもない最貧地域出身の青年は就職面接で何度も落とされて自信喪失したに違いない。筆者が上記の上海婦人に出会った話をしたときMが「上海人は自分が金持ちだと自慢して態度が傲慢だ」と敵愾心を露わにした。いわゆる地方出身者のコンプレックスだろう。 そしてMは心機一転のため20年近く節約して貯めた預金を下ろして夢に見た海外冒険の旅にでた。しかし現実の海外は言葉も通じず惨めなことばかりだったようだ。その鬱憤と反動がゲストハウスに対する評価とコメントに現れたのではないか。 筆者にとり、中国貧困地域のいわゆる“負け組”の青年の心模様を肌感覚で知る機会となった。憧れの外国には自分の居場所がないと思い知らされたMは共産党支配の末端の労働者として従順に安月給で働くしか生きる道がないことを悟ったのだろう。
シー・ビュー・ホテル(海景酒店)@ヒッカドウアの中国人起業家
12月24日。中国語の看板が出ていた中堅ホテルがあったので興味本位で中に入るとソファーに経営者のL氏がいた。中国語と英語のチャンポンで聞くとL氏の起業家(entrepreneur)としての顔が見えてきた。 L氏は36歳、中国安徽省出身。安徽省の平均所得は上海・北京の40%であり湖北省・江西省と同じ水準。豊かとは言えない地域である。子どものころから両親が安徽省で旅館(小さなホテル)を経営。L氏は現在ウルムチでも旅館経営しており、L氏夫人が切り盛りしている。当初は仕事に来た漢民族で繁盛。その後ウイグル族を巡る政治的混乱とコロナ禍で苦しい時期が続いたが今後は回復すると期待した。 L氏自身は23歳で国を離れオーストラリア、ニュージーランド、トルコ、スペインなど主に海外のホテルで経験を積んで事業資金を貯めてきた。コロナ禍では2年間自宅軟禁生活。2023年春に中国からの海外渡航が解禁された初日のフライトで出国。いつ何時突然海外渡航が再度禁止になる恐れがあると判断したとのこと。 最初にタイ・マレーシアに行ったが物価も高くホテル事業で新規参入は難しいと判断。それからスリランカに来た。以前からの知り合いのイタリア人オーナーと交渉してオーナーからヒッカドウアの現在のホテルを居抜きで借りる賃貸契約を結んだ。若干の改装をして5月に新装開店。 老齢のイタリア人オーナーは引退して故郷で余生を送りたいと、予てから希望していたので有利な条件で賃貸契約した模様。いずれにせよ凄いスピード感だ。注)筆者はアジアや欧米に進出している中国人に過去百人以上面談したが、中国人が海外で開業する時は初期投資を最小限にするため訳アリ物件を居抜きで賃貸するのが常道。事業が軌道に乗ったら徐々に規模を拡大して故郷から働き手を招く。 中国人の個人旅行客をターゲットにいくつかの旅行サイトに登録して集客しており開業半年で収支は“まあまあ”(還可以)と。L氏は2年以内に経営を軌道に乗せて故郷の親類に経営を任せて自分自身はスペインかイタリアでホテルを開業する計画であった。