結論を「出せない」のではなく「出そうとしない」 堂々巡りの「石丸論法」を育んだ京大という“土壌”
中でも最も恥ずかしいのが、ドイツ文学の池田浩士先生(1940年~)のゼミでのことだった。例によって、どなたが何について発表をしたのか覚えておらず、無礼を上塗りしているのだが、自分の恥は強く覚えている。 そのころ、聞きかじったばかりの「仕掛けの露呈」というドイツ演劇の概念を持ち出して、池田先生の前で知ったかぶりをした。「仕掛けの露呈」とは、ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒト(1898~1956年)が唱えたもので、ナチスドイツの専門家である池田先生から見れば、学部生が生半可な知識で振り回せる概念ではなかったに違いない。
それなのに、あるいは、それゆえにこそ、池田先生は、ニコニコとした表情で、「鈴木さんには、これから『仕掛けの露呈』について大論文を書いてもらいたいですね」と言ってくれた(ような気がする)。 池田先生のゼミでは、ほかにも、ロシアアヴァンギャルドについても、大ボラを吹いた記憶もあって、今の私が当時の私と同席したら殴りたい。ただ、ここで伝えたいのは、私の恥ずかしさよりも、そんな生意気な学部生も放っておいてくれたり、認めてくれさえしてくれたりする、そんな懐の深さである。
確かに、人の話を聞いておらず無関心だからこそ、先生からしても、「ああ、またイキってんなぁ」という、取り立てて腹を立てる筋合いでもなかったのだろう。「京大生あるある」にすぎないからである。権威主義的ではなかったし、「学部生の分際で」などという押し潰そうとする空気はなかった。 ただ、そう思ったのは、私が鈍感だったからにすぎず、周りはヒヤヒヤしていたのかもしれない。空気を読めない無礼な奴がいる、と思われていたはずなのに、私に面と向かって、そう言ってくれる人はいなかった。
ゼミはカラオケ大会なので、盛り上がれば、丁々発止、談論風発に見える。一方で、発表がまとまっていなかったり、逆に、完璧すぎたりすると、一転してお通夜状態になる。そんなゼミも少なくなかった。 ■原則、先生を「さん」で呼ぶ学生たち 京大では、先生を「さん」付けで呼ぶ。少なくとも、京大の人文科学研究所、通称「人文研」では、今もなお、原則、誰であっても「さん」付けしている。 「さん」付けをしたからといって、軽く見ているわけでも、バカにしているわけでもない。反対に、それなりの敬意をあらわしていると思われる。私は、面と向かっても「さん」で呼んでいた。