弁護士試補となった『虎に翼』寅子モデル・三淵嘉子の勤め先は丸ビルの中。「お嬢さん弁護士」と紹介された新聞で淡々と語っていたこととは
◆弁護士としてのキャリアが始まる 一緒に合格した田中正子(後の中田正子)と久米愛の2人は第一東京弁護士会に配属されて修習しており、3人ともそれぞれ丸の内にある法律事務所にいました。 お昼の時間に丸ビルのレストランに行ったり、皇居のお濠沿いを散歩したり、初の女性合格者3人の切磋琢磨する友情は続きました(正子は1939<昭和14>年に中田吉雄と結婚し、夫とともに鳥取に移って弁護士として活動しました。愛は日本婦人法律家協会の会長を長く務め、嘉子とも多くの場面で行動をともにしました)。 修習を終え、さらに見事弁護士試補考試にも合格した嘉子は(正式には、この段階で、初の女性弁護士が誕生した、ということになります)、いよいよ弁護士としてのキャリアを歩み始めることになります。 1940年6月16日付で、嘉子たちがまもなく修習を終えることを伝える『東京日日新聞』には、「生れ出た婦人弁護士 法廷に美しき異彩“女性の友”紅三点 抱負も豊かに登場」という見出しが踊っていますが、「お嬢さん弁護士」と紹介された嘉子のコメントは、「まだまだこれからです」、「一本立ちといつても自信もないし自分に向く仕事かどうかもわからないんです。まあやるとすれば民法をもつと研究してゆきたいと思つてゐます」という、淡々としたものでした。 ※本稿は、『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)の一部を再編集したものです。
神野潔
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