【大学野球】「慶應には4年生で花開く伝統がある」 四番・清原正吾にかかる大きな期待
チームの開幕戦勝利に貢献
【4月13日】東京六大学リーグ戦(神宮) 慶大5-2東大(慶大1勝) 2019年12月から母校を指揮する堀井哲也監督は、静岡県立韮山高校から現役で慶大に進学した。左翼のレギュラーを獲得したのは4年秋。学生ラストシーズンでリーグ戦初本塁打を放ち、学生野球の集大成を飾っている。 【選手データ】清原正吾 プロフィール・寸評 堀井監督と野球部同級生の北倉克憲チーフコーチは、40年近く前の記憶が鮮明である。 「今年4月、下田グラウンドに新たな屋内練習場が完成したんですが、旧屋内練習場は1988年にできましたので、我々の学生時代にはありませんでした。ライトの後方にティーネットが設置してあったんですが、堀井はいつもそこで、バットを振っていました」 練習の虫。努力はウソをつかなかった。堀井監督は自身と重ね合わせ、慶應体育会野球部の「文化」についてこう語ったことがある。 「慶應には、4年生で花開く伝統があるんです。3年秋までの実績は、参考にならない」 そこで、大輪の花を咲かせたのが、春のオープニングゲームとなった東大1回戦(4月13日)で「四番・一塁」で先発した清原正吾(4年・慶應義塾高)である。NPB通算525本塁打の清原和博氏(元西武ほか)の長男。3回表一死一、三塁から中越えの先制適時二塁打を放ち、リーグ戦初打点を挙げ、チームの開幕戦勝利(5対2)に貢献した。 かつてない挑戦だった。中学でバレーボール部、高校ではアメリカンフットボール部に在籍し、大学で再び白球を追うという、異色の経歴を歩んできた。小学3年から6年時までは学童野球チームでプレーしていたが「父がいろいろあって、重圧、プレッシャーもかなり大きく、野球から目を背けたくなってしまったのがあります」と、自ら白球の道を絶った過去がある。
変わらなかった野球への姿勢
なぜ、もう一度、野球を始めたのか。弟・清原勝児さん(慶應義塾高で昨夏の甲子園全国制覇)が中学時代、父から野球を教わったのをきっかけに、家族で集まる機会が増えたという。 「長男としての思いが芽生え、母の大変さを目の当たりにする機会が増え、こんなに良い環境で育ててもらい、最後の学生生活で恩返し、親孝行がしたいと考えました。父と母を喜ばせたい思いが、根底にあります」 白球、バットを握るのは6年ぶり。硬式野球の経験もなかった。ブランクを埋めるため、ひたすら猛練習。1年春のフレッシュトーナメント(2年生以下で編成)から出場し、同秋に四番を2試合、2年春は全3試合で四番を務め、2年秋までに通算11試合、35打数6安打、3打点、打率.171の成績を残した。 リーグ戦は2年秋の早大1回戦で初のベンチ入りで、同2回戦で初出場(代打で右飛)。3年春は開幕先発(七番・一塁)の座をつかみ、法大3回戦で初安打を放った。開幕から3試合、先発に名を連ねたが、2カード目の明大4回戦での代打を最後に、登録25人のベンチ入りメンバーから外れた。チームは同秋に4季ぶりのリーグ優勝、4年ぶりの明治神宮大会制覇を遂げたが、清原はVの輪に加わることはできなかった。主力のAチームから外れ、Bチームで泥だらけになっていた。 「どんな状況でも練習をやり込んだ。野球に対する姿勢が変わらなかった」(堀井監督) 清原はこう振り返る。 「Bチームの選手と悔しい思いをしながら練習をしていました。自分の中で一度、覚悟を決めて始めた野球だったので、絶対にトップになろうと思って、毎日、妥協せず練習した」