今さら聞けない「普天間移設問題」 なぜここまでこじれたの?
動き出した代替施設建設案
移設の計画が一向に進まない中、沖縄国際大学の構内に2004年8月13日、普天間基地所属の米軍ヘリが墜落する事故が起こりました。基地が人口過密地域にあることの危険性が改めて露呈し、普天間基地の閉鎖を求める声が高まったのです。 また、アメリカ側も9.11以降、米軍再編に向けて動き出し、沖縄の負担軽減の観点から普天間基地移設問題が改めてクローズアップされました。日米両政府は2006年、「再編実施のための日米のロードマップ」を発表。住宅の上空の飛行ルートを回避するV字滑走路は、辺野古岬とそれに隣接する大浦湾と辺野古湾を結ぶ形で合意しました。島袋名護市長(当時)もこの案を承認。その後、沖縄県や名護市から滑走路の沖合移設などの修正が求められましたが、2014年までに代替施設建設という問題解決に向けた一定の方向性は出ていたのです。
政権交代で移設は白紙に
ところが2009年、「普天間基地の県外、国外移設」を公約に掲げた鳩山由紀夫代表率いる民主党が政権を獲得。既定路線となっていた辺野古移設案は白紙に戻されました。しかし、鳩山政権は県外移設案で主に検討したものの、具体的な代替案を打ち出せずに迷走。最終的にはアメリカに押し切られる形で、移設先を「辺野古周辺」とする日米共同声明を発表しました。 「県外移設」に期待を寄せていた沖縄は、なぜ辺野古に戻ったのかという政府の明確な説明がないことに態度を硬化させます。結局、辺野古移設案の実現は事実上不可能との考えを示し、米軍普天間基地移設問題は振り出しに戻ってしまったのです。
自民政権奪還で再び動き
2012年の衆院選で再び自民党が与党となり、第2次安倍内閣が発足。政府は辺野古移設への手続きを進めるため、基地建設における公有水面埋め立て申請を沖縄県に提出しました。県内移設反対を主張していた仲井真知事は、年内に「承認」「不承認」の判断を示すとしていましたが、結局「承認」という結論を出しました。 辺野古への移設を進めたい政府と、県外移設と早期返還を希望してきた沖縄県。とはいえ、沖縄県内でも移設容認、反対それぞれの主張があり、一筋縄ではいかない状況が続いているのです。 普天間基地の周辺には、住宅や学校、病院などの公共施設も集中しており、「世界一危険な基地」と称されるほど。安全性を重視して一刻も早い移設が望まれる一方、基地の負担を沖縄だけに押し付けて良いのか、そもそも基地の存在は必要なのかなど、この議論はまだまだ尽きることがなさそうです。 (南澤悠佳/ノオト)