脳腫瘍を患い8歳で亡くなったお兄ちゃん...わずか1年しか背負えなかった『ランドセル』 「自分が使う」と言って弟が今春小学校に入学 見守る母の思い「健康でいてほしいなと」
一時は回復し学校にも復帰 大好きなドッジボール大会にも参加
陽音くんはすぐに放射線治療を始めました。 (亜紀さん)「頭の中に“できもの”ができたからと(陽音くんに)伝えて、その“できもの”に『デビルっていう名前をつけて、やっつけよう』となって。放射線治療が終わってMRIの結果が出たあとに、『デビル、小さくなってた?』って必ず聞いてきました」 放射線が効き、病状は一時回復し、歩けるようにもなっていました。学校にも復帰。クラスメイトに温かく迎えられました。病気がわかって半年後の7月には、大好きなドッジボール大会にも参加できました。試合に負けて悔し涙を流した陽音くん。亜紀さんは、治療中も成長している我が子の姿を実感したそうです。
陽音くんは「世界を病気いっぱいにする鬼を退治してくれている」
しかし、再び病状が悪くなり入院。この時、亜紀さんのお腹には赤ちゃんがいて、陽音くんはノートにこんな言葉を残していました。 『弟ができること』 病気が進行し鉛筆をうまく握れなくなっていましたが、必死で書きました。それから2か月後、陽音くんは亡くなりました。8歳でした。 陽音くんが亡くなったのは、椛さんが2歳の時。後に産まれた椿さんも丞くんも、お兄ちゃんに会ったことはありませんが、3人にとって陽音くんは自分たちを守ってくれる大切な存在です。 (椛さん 椿さん 丞くん)「(Qお兄ちゃんはどこにいる?)天国。世界を病気いっぱいにする鬼を退治してくれている」
「もっと背負わせてあげたかった」陽音くんのランドセル…弟・丞くん「自分が使う」
3人の子育てに追われながら、亜紀さんが袋に入れたまましまっていたのが、陽音くんのランドセルです。まだ真新しいランドセルをずっと開けることができませんでした。 (亜紀さん)「ランドセルは小学校に通った証しというか…子どもたちの、その日その日の感情が詰まったものだと思うので、思いが詰まっているし、もっと背負わせてあげたかった。きれいなままなので、もっと汚してほしかった」 1年ほどしか背負えなかった陽音くんのランドセル。去年、小学校入学を控えた丞くんが、ごく自然に「自分が使う」と言いだしたそうです。 (丞くん)「(ランドセルは)にぃにぃのお守りだから」