「Bクラスも覚悟していた」仙台大が2年連続の全国切符獲得 序盤苦しんだ4年生が見せた意地
「ここまでの4年間で一番プレッシャーがかかったシーズンだった。いつもはオープン戦で調子が悪くてもリーグ戦が始まると復調していたんですけど、今回はなかなかうまくいかなくて…」。不調が続く間はストレスで食事がのどを通らない時期もあり、体重は数キロ落ちた。 それでも、「最後は気持ち。自分が苦しいときに下級生がたくさん助けてくれた。その分も自分たちがやらないといけない」と終盤戦に向け自らを奮い立たせた。第6節と最終節は安打を重ね、最終的には打率を.314(35打数11安打)まで上げた。東北福祉大2回戦では、1点を追う九回一死三塁の場面で二ゴロを打って走者を生還させるチームバッティングも披露。平野は「納得のいく結果ではないけど、チームのために最低限の仕事はできた。後輩たちに背中で見せられたと思う」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。
ケガに見舞われた主将が全うした役割
終盤戦は平野以外の4年生野手も調子を上げた。第6節の東北工業大戦と最終節の東北福祉大戦はいずれも接戦となったが、4年生が要所で得点を生み出した。伊藤颯内野手(4年=鶴岡東)は東北工業大戦2試合でいずれも決勝打をマーク。東北福祉大戦は1回戦で田口大智内野手(4年=田村)が先制打とダメ押し打を放ち、2回戦では4番に座った小田倉啓介内野手(4年=霞ヶ浦)が先制打でチームを勢いづけた。
主将の小田倉は開幕2戦目のプレー中に肩を痛めた。欠場や指名打者、代打での出場が続き悔しさやもどかしさを感じながらも、「チームメイトを信頼していたので、自分はやれることを全力でやりました」と話すようにモチベーションは一切下がらなかった。 主将には「嫌われる覚悟」を持って就任。練習中から、少しでも油断していると感じた選手には躊躇(ちゅうちょ)なく注意した。一方、経験の浅い選手には「野球は成功するか失敗するか、勝つか負けるかの二択。成功する方、勝つ方の50%が自分たちに来るのを信じて思い切りやろう」と前向きな言葉をかけ続けた。