「炎上する不倫」と「しない不倫」は何が違うのか…大バッシングを受けるか否かを分ける"決定的な要素"
■不倫にも優劣がある それはさておき「不倫はいけない」と一言で断じてしまう風潮が気になるのは、人がこれだけ繰り返してきた愚かな情事に、優劣があるという意識を消してしまう点である。実際には、許される情事と許されない情事がある。 妻への申し開きを想像して、外国人女性としか不倫しないという男性もいたし、水商売の女性に限定している人もいた。妻と似ている女性は絶対に選ばないという男性もいる。いずれにせよ、これだけはやってはいけない、という品格を持ち得るかどうかが、不倫のできる人と絶対にする資格のない人を分けるとも言える。 それは単純な法則性があるものではない。以前私の友人が恋人に浮気をされたとき、その相手があまりに醜かったことで議論になったことがある。話を聞いていた友人の一人は、こんなブス、脅威にならないからいいじゃん、という立場だった。 ただ当人にとっては顔の美醜より、浮気相手が彼と同じ業界であったことが怒りを増大させていた。自分だけ蚊帳の外のような気分になる、自分では仕事の悩みを聞いてあげられない、という言い分だった。 ■離婚にまで至る不倫とそうでない不倫の差 自分が最も大切に思うパートナーが、何をされたら最も自尊心を揺さぶられるか、その知識と想像力が思いやりにつながり、同じ悪事の重みを変える。軽率な気分でした浮気で夫婦関係の解消にまで至るようなケースは、この意識が全くないことが多い。 はっきり意識しているかどうかにかかわらず、どんな相手を選ぶかには人としてのセンスがにじむ。競泳選手の不倫報道が面白みに欠けるのは、美人CAという、いかにも男性が好きそうと想像される相手を選んでしまう本人のセンスが一番大きいように思う。 高い外車で安いラブホテルに入り、車をわざわざ乗り換えて娘たちのお迎えに向かったという記述などは、多目的トイレ不倫のような滑稽さがあるものの、その「ツッコミどころ」が、家族に与える嫌悪感を上回らない限り、人は面白いとは思わない。よって当人に向けられる眼差しは、苦笑いやツッコミだけでなく、極めて冷笑的な批判に終始し、面白がって噂のタネになることもあまりなかった。 結果、五輪延期で大変な時期を迎えるアスリートの家庭を、大して話題性のない、当人たちのダメージだけが無駄に大きいゴシップで傷つけた報道側のイメージも損なわれたような気がする。 ---------- 鈴木 涼美(すずき・すずみ) 作家 1983年生まれ。慶應義塾大学在学中にAVに出演。東京大学大学院社会情報修士課程を修了。修士論文が『「AV女優」の社会学』として書籍化。日本経済新聞社記者を経て、文筆家として活躍中。初の小説『ギフテッド』が第167回芥川賞候補になった。 ----------
作家 鈴木 涼美