「炎上する不倫」と「しない不倫」は何が違うのか…大バッシングを受けるか否かを分ける"決定的な要素"
■「面白い不倫」は罪の重さが無害化しやすい 面白みを感じさせる要素はいくつかある。代表的なところでは、誰が不倫するのか、誰と不倫するのか、どこでどんな不倫をするのか、そしてどんな言い訳を放り出すのか、週刊誌がどんな見出しをつけるのか、といったところだろう。 「誰が」不倫するのか、は当事者にとっては自分のパートナーが、という事実が共通してあるだけで、クリアに外野向けの情報である。不倫報道の多くは、お茶の間のアイドルが、往年の人気女優が、「五体不満足」なあの作家が、というこの点に面白みを見つけるものだが、これは当該家族への傷にはあまり関係しないし、センスが問われるところでもない。むしろ週刊誌記者やハニートラップをしかける側のセンスが光るところでしかない。 どこでどんな不倫をしたか、にあらわれる面白みは、報道のテンションや大きさを変える。多目的トイレで不倫したグルメ芸人や、車内でスピード逢瀬を繰り返した二枚目俳優など、そこに焦点が当たる人は、本人にどのような罰が降るかに差こそあれ、人の噂話や識者のコメントの中で比較的明るいテンションで揶揄されたり、本人に直接的なツッコミがいったりする。それゆえに少なくとも世間的には罪の重さが無害化していきやすい。 ゴシップが売り物になる仕事をしている者が、秘密の私生活にも多少の人生を演じる意識を持てばその内容が退屈にはならないし、ゴシップを売る報道機関の側も、そのゴシップが悪人を決めつけるものではなく、消費されて楽しまれるものであるという意識があれば、その面白みは強調される。双方のセンスが光れば、散々消費されても本人が人生を失うほどの何かをなくすことはないはずなのだ。 ■世間は「相手選びのセンス」に思いやりを見る さて近年の不倫報道で、面白さが光っていたのは2019年、2回も不倫が報道された兄弟コンビの芸人さんだろうか。「誰が」という点では、やや粗野な印象の芸人という意味で特に意外性はない。コンビニ前でアイスにかぶりつく間抜けな姿を激写されるその内容も別に面白くない。 面白みが光ったのは妻をカレーライスに、愛人をハヤシライスに喩えた微妙な言い訳もさることながら、一度目は浜崎あゆみ似と報じられたド派手な名古屋ギャル、二度目は40代の元セクシー女優という、「誰と」不倫したかの一点だろう。 男性芸能人の不倫報道には当然、女性視聴者の批判的な意見が多く寄せられるが、「誰と」の部分で女性を完全に敵に回すか、苦笑を引き出す程度なのかは分かれがちだ。それは単なる野次馬精神にのみ訴えかけるものではない。視聴者もそこまで単純なわけではなく、相手選びのセンスに、一筋の思いやりを見るのである。