東北大・佐藤昴 「進化」続ける“国立大の星”が仙台六大学を代表する投手になるまで
リハビリ生活を支えてくれた先輩の存在
高校野球の引退試合となった3年夏の県大会では悔しさを味わった。強豪・東北高の打線に打ち込まれ、コールド負けで初戦敗退。元々大学では野球を継続しない予定だったが、高校野球が不完全燃焼に終わったことから、再び「国立大で私立大を倒そう」と意気込んで東北大硬式野球部に入部した。 東北大では1年秋にリーグ戦デビューを果たした。しかしこのリーグ戦期間中から右肩痛に悩まされ、2年春のオープン戦の時期には、直球の最速が通常より30キロ近く遅い110キロにとどまるほど状態が悪化した。「グラウンドに来てもやることがない。キャッチボールをしても、10メートルも届かない」。初めてのリハビリ生活は想像以上に苦しかった。
そんな時頼りにしたのが、同時期に故障で離脱していた宮家凜太朗投手(4年=春日部共栄)。グラウンドではほとんどの時間を二人で過ごし、できる範囲でキャッチボールもした。また宮家に紹介してもらった整骨院に足しげく通ううちに、少しずつ肩の痛みはやわらいでいった。佐藤は「宮家さんがいてくれてよかった」と感謝を口にする。 ケガを乗り越え、昨春の新人戦では1回戦の東北学院大戦で9回1失点完投勝利。「真横から投げることを意識していた」ために右肩痛を発症したと分析し、状況に応じてスリークォーター気味のフォームで投げるようになったことが功を奏した。完全復活した右腕はこの試合の後、「秋は先発ローテーションに入って、イニングを稼いでチームを勝たせられるピッチングをする」と誓った。
「忘れちゃいけない」痛恨の一発
迎えた2年秋。宣言通りシーズン通して先発ローテーションを守り切り、毎試合のように長いイニングを投げた。「投げられるって、楽しいな」。佐藤はマウンド上で、投げられる喜びを感じていた。 ただ、3勝4敗と負け越したことからも分かるように、「チームを勝たせられるピッチング」をすべての試合でできたわけではない。中でも本人が悔やむのが、東北工業大3回戦。8回まで無失点に抑えるも、1点リードの9回、同学年で意識しているという佐久間永翔内野手(2年=白石工)に逆転の2点本塁打を浴びるなど3点を失い、負け投手になった。