禁止令が出たことも!日本でかつてタブー視されていた「肉食」が普及していった納得の理由
それゆえ、肉食をタブー視する風潮が強まるのは自然の勢いだったが、人々が肉をまったく食べなかったわけではない。というより、世俗化した江戸時代において、食のタブーは揺らぎつつあった。 江戸時代初期から鳥類は食の対象とされていたし、時代が下ると獣肉食も珍しくはなかった。これからみていくのはそうした、食に対する人々の本音である。 ■その数なんと18種類! バリエーション豊かな鳥肉 そもそも江戸時代において、鳥を食べるのは当たり前のことだった。江戸初期にあたる寛永20年(1643)に刊行された『料理物語』という本には、鴨・雉・鷺(さぎ)・鶉(うずら)・雲雀(ひばり)など、18種もの野鳥が取り上げられている。
現代では口にしない、様々な鳥が食用だったことがわかる。しかも調理法も多様だ。鴨の場合でみると、汁・刺身・なますなど15種類以上の料理法が紹介されている。 現在、鳥類のなかで最も食べられている鶏はどうかというと、卵を産む家畜として飼育されたこともあり、江戸初期の頃はあまり食べられなかった。鶏の鳴き声には太陽を呼び戻す力があると神聖視されたことも、大きかったようだ。 しかし、食用だった野鳥が乱獲されて鳥肉が不足すると、家畜用だった鶏も食用となっていく。『守貞謾稿』(もりさだまんこう)によれば、文化年間(1804~18)以降、鶏肉は京都や大坂では「かしわ」と呼ばれ、葱鍋として食べられた。
江戸では「しゃも」という呼び名で食べられた。価格の安さもあり、庶民の間で鶏肉の人気は高かった。鶏の卵は高級品だったが、肉用に加えて採卵用の養鶏も盛んとなったことで、価格が低下していく。それに伴い、卵料理の数も一気に増える。 天明5年(1785)に刊行された『万宝料理秘密箱』(まんぼうりょうりひみつばこ)には、103種類もの卵料理が掲載された。同年刊行の『万宝料理献立集』でも掲載された料理の献立すべてに卵が挙げられており、卵料理の普及ぶりが窺える内容となっていた。