「レポートを締切直前まで放置」”病的な先延ばし”から抜け出せない人”3大”盲点 精神科医・禅僧がすすめる「無心になる」練習
むしろ修行の大半は、リラックスからほど遠いものです。 お寺の静謐(せいひつ)なイメージとは裏腹に、禅僧の暮らしは非常に活動的。 特に修行中の僧侶である「雲水(うんすい)さん」は、肉体的にもハードな、ほとんど命がけのような毎日を送ります。 禅僧の修行には、大きく「理入(りにゅう)」と「行入(ぎょうにゅう)」の2つがあります。 これは「だるま」のモデルになった達磨大師が説いたと言われています。 理入は経典を読むなどして理屈から、つまり頭から入る座学のような修行を、行入は行動、身体から入る修行を指しています。
移動するときは決して歩かず、衣を着ているときは全力で早歩きしますし、作務衣のときには猛ダッシュです。 その他、掃除、調理、食事、洗面、入浴など、すべて細かく作法が定められているだけでなく、できる限り素早い身のこなしで行うのが基本。 禅宗においては、日常生活そのものが修行なのです。 その行入が時としてとてもハードなのが、禅修行の実際なのです。 ■不動智とは、即座に動ける状態 私の体験から一例を挙げましょう。一番印象に残っているのは、12月1日から8日の明け方まで、一度も横になって眠らないという修行です。
その間、食事やお経の時間以外はずっと坐禅を続けるのです。 途中でうたた寝をしようものなら、肩を警策(けいさく)で強く叩かれます。 何のために、こんな無茶をするのか。誰もがそう思うことでしょう。 そのルーツをたどれば、開祖であるブッダが、「まる7日間、菩提樹の木の下で座って悟りを開いた」という言い伝えに由来しているのですが、気になるのは、修行上の効果です。 一言でいえば、「莫迦になる」 ためです。
仏教用語で、莫迦は「無智」の意味です。 不動智(ふどうち) 、という禅の言葉があります。 智恵にあふれていながらも、それに囚われず、四方八方、自由自在に動き回れる状態。 現代風に訳すなら、ぐるぐる頭のなかで思い悩むことなく、臨機応変に考え、なおかつ「即座に動ける」状態。 いろいろと考えるよりも、無心で動くほうが先延ばしは減ります。 ■【盲点②】「心の勢い」を落としている 江戸時代の禅僧、沢庵(たくあん)禅師は、徳川将軍家の指南役であった剣豪の柳生宗矩(むねのり)に対し、そんな不動智が禅の修行によって得られる、と説きました。