記録の神様と呼ばれた男、千葉功「記録に生きる」その2/ベースボールマガジン
かつてのベースボールマガジンに『話のグラウンド』という企画があった。脇役の方々が登場する地味ながら興味深いものだ。今回は1965年4月号からパ・リーグ公式記録員、千葉功さんの回を紹介しよう。週刊ベースボールの『記録の手帳』の筆者で、山内以九士氏、宇佐美徹也氏とともに記録の神様と言われた方である。WEBで紹介するにはやや長い気がしたので、1時間置き3回に分け、紹介します。これはその2回目。
まだ最初の計画の数分の1も……
“数字のゲーム”と言われる野球だけに、その統計の面白さにひかれている記録マニアは意外に多いのだ。 現に、先年パ・リーグで記録補助員を募集したとき、文字どおり、北は北海道、南は九州から合わせて200人近い応募があったのには驚かされた。周囲を見回しての熱狂的なマニアは、いるいる。 報知新聞の記録面を担当しているU記者もかつて中学時代には自らスコアカードをつくった一人だった。それにレコナー(打率早見表)もつくったという努力家だ。 いろいろ統計をつくれば、打率を計算するだけでも手間がかかる。そこで一目で打率が求められるよう打数100から安打51までの打率を紙とエンピツで計算したというのだから、その労力たるや大変だ。 横浜に住む大西さんは町の記録マニアだ。ある日電話が掛かってきた。 「千葉さん、25年の〇月〇日の大下に三振があるのですか」15年も前のことをどうするのかと聞き返すと、「そのときの新聞から大下の記録を拾っていくと数字が合わないんです。どうもその日がおかしいんですよ」ときた。 また茨城県の磯崎氏も、熱狂的なマニアの一人。同氏が中心となり、「プロ野球記録友の会」が結成されたほどだ。それもなかなか本格的な組織で、定期的に会報も発行され、私どもにも送られてくるが、内容は盛りだくさん。最近号では、昭和11年のプロ野球リーグ戦開始前のエキシビション・ゲームの一覧表が掲載されていた。実業団との対戦もまじった非公式試合とあって、今までは資料として残されていないだけに、大変貴重な資料の一つだ。 そういう私は、趣味と仕事を両立できる幸運に恵まれるようになって、12年たつ。最初はすべてが物珍しかった。古いスコアカード、全選手の貴重な成績表……記録マニアには垂涎の資料が完備している。さあ、いろいろ勉強ができるぞと、はじめは大いに情熱を燃やしたものだ。ところが12年たった今、振り返ってみると、最初の計画の数分の1も実現していないのが情けない。 確かに毎日の生活は忙しい。しかし、それよりも「いつでもできるんだ」という安堵感がそうさせてしまうのだろう。野球の記録は掘り下げればそれだけ興味が増すものだ。
週刊ベースボール