大舞台で“ナンバー10”を背負う斉藤光毅。左サイドで生きる道を見つけたエースが勝利をもたらす【パリ五輪の選ばれし18人】
クラブと代表の役割の違いに悩む時期も
パリ五輪開幕まで2週間を切った。ここでは56年ぶりのメダル獲得を目ざすU-23日本代表の選ばれし18人を紹介。今回はFW斉藤光毅(スパルタ・ロッテルダム)だ。 【PHOTO】悲願のメダル獲得へ!パリ五輪に挑むU-23日本代表18名とバックアップメンバー4人を一挙紹介! ――◆――◆―― A代表だけではなく、五輪代表でも背番号10は特別なナンバーだ。シドニー大会では中村俊輔、アテネでは松井大輔、リオでは中島翔哉。チームの中心を担う男たちが託されてきた偉大な番号をパリで背負うのが、斉藤光毅だ。 横浜FCユース時代から注目を集め、2019年には飛び級でU-20ワールドカップに出場するなど実績は十分。2021年の冬に横浜FCからベルギー2部のロンメルSKに加入すると、2021-22シーズンは20試合で5ゴールを奪った。 実績が認められ、2022-23シーズンからはオランダリーグ1部のスパルタに活躍の舞台を移す。自身初の欧州1部リーグで左サイドハーフのレギュラーに定着し、26試合で7ゴールをマーク。チームを6位に押し上げる原動力となった。 2023-24シーズンは怪我の影響もあり、21試合・3ゴールに終わったものの、キレのあるドリブルとチャンスメイク能力は折り紙付き。大岩ジャパンの10番に相応しいプレーヤーだ。 パリ五輪世代ではチーム発足当初から主軸を担い、エース候補として期待をかけられてきた。2022年3月下旬に行なわれた大岩ジャパン初の海外遠征となったドバイカップや、同年6月のU-23アジアカップ・ウズベキスタン大会で背番号10を託されたことからも期待値の大きさが見て取れる。 しかし、圧倒的なパフォーマンスを見せたかと言われれば、そうではない。特に先のU-23アジア杯予選ではシーズンオフを挟んでの大会となったため、低調な出来に終始。身体にキレがなく、大会を通じて得点を挙げることはできなかった。以降はMF鈴木唯人(ブレンビー)に10番を譲り、背番号18を背負って戦いを続けてきた。 その後もクラブでの活躍とは裏腹に代表で結果を残せない時期が続く。特に難しかったのが、左サイドでのプレーだ。横浜FCやU-20日本代表などでは最前線を主戦場としていたが、欧州挑戦以降はサイドに軸足を置いた。 以前のインタビューでも、「サイドハーフの役割はチームによって求められることが違う」と悩みを口にするなど、新たな役割に少なからず迷いが生じていた。 なんとかクラブでは戦う術を見つけられたものの、大岩ジャパンではなかなかうまくいかない。特に守備のタスクで苦戦。自チームとは異なる約束事があるため、プレスのかけ方を理解したうえで攻撃のクオリティを出すまでには至らなかった。 2023年10月以降は怪我で代表の活動から遠ざかり、2024年を迎えてからも4月中旬から5月初旬にかけて開催されるU-23アジア杯・カタール大会は、インターナショナルマッチウィーク外の影響で招集外に。だからこそ、6月のアメリカ遠征は自身の価値を示す最後のチャンスでもあった。 6月11日のアメリカ戦(2−0)。斉藤は4−3−3の左ウイングで先発起用されると、開始早々の6分に相手のハンドを誘ってPKを獲得する。これをFW藤尾翔太(FC町田ゼルビア)が決め、先制点をお膳立てした。 以降も左サイドで圧倒的な“個”を示し、複数人のマークを簡単に外して決定機を何度も作り出す。守備でも献身的にプレー。45分間の出場だったが、アピールには十分すぎる内容だった。斉藤の出来に大岩剛監督も賛辞を惜しまない。 「このチームの活動の中で、今までで斉藤光毅は一番良かったです。すごくポジティブなプレーでしたね」 最後の最後に結果を残し、良いイメージで本大会に臨めるのは間違いない。斉藤は言う。 「日本代表の10番はプレッシャーもかかるし、周囲からの期待もすごくある。でも、その期待をしっかりと背負いながらやりたい。気負い過ぎても良くないので、背番号は関係なく、自分自身のプレーに集中していきたい」 10番に捉われず、自分らしくプレーするのみ。その先に最良の結果があると信じ、日本のエースは自らの足で勝利に導くつもりだ。 取材・文●松尾祐希(サッカーライター)