ウィキリークス創設者アサンジュ氏釈放、機密流出事件は国家の情報保全をどう変えたか
内部告発サイト「ウィキリークス」の創設者のジュリアン・アサンジュ氏(52)が6月26日、祖国のオーストラリアに帰国しました。同氏は同日、米領サイパンの連邦地裁に出廷し、米国の機密情報を流出させたなど18件の罪を巡り、司法取引でこのうち1件の罪を認め、5年2カ月の禁錮刑を言い渡されましたが、英国での収監期間を算入した結果、自由の身になりました安全保障ジャーナリストの吉永ケンジ氏は、ウィキリークスの事件は政府機関の情報保全に大きな影響を与えたと語ります。(牧野愛博=朝日新聞外交専門記者) 【写真】故郷オーストラリアの空港で妻と抱き合いキスをするアサンジュ氏
――ウィキリークスが様々な情報を暴露した当時、吉永さんは日本政府で働いていました。 ウィキリークスが公開した情報がすべて真実だったのかどうかはわかりません。ただ、米国の安全保障に関するリソースの巨大さに驚きました。日本や韓国などの同盟国に対する表面的な接し方と水面下の対応には差があることも実感しました。いずれも想像していたことでしたが、実際に目の当たりにして改めて驚いた記憶があります。 また、米国の北朝鮮に対する分析を見た場合、地理的な距離のほか、宗教や社会、文化の土台が全く違うため、実態と少しずれた分析をしているという印象も持ちました。 ――2006年に創設されたウィキリークスは1000万点超ともいわれる様々な機密文書を公開しました。 現在と比べると、当時はまだ政府機関の情報に対する安全管理が緩かった時代でした。機密文書を扱うパソコンは外部のインターネットと接続できないようにはなっていました。ただ、内部での作業の利便性を考え、職員同士がUSBを使ってデータをよく交換していました。USBを使えば、短時間で膨大な量のデータを手にすることができます。当時は、スマホで画面を写メすることも可能だったと思います。 でも、ウィキリークスの事件後、情報管理が格段に厳しくなりました。指紋認証型のUSBが登場したことを覚えています。本人でなければ、USBのデータを開くことができません。 パソコンも、USBでシステムから情報を取りだすと、どのUSBを使って取り出したのか自動的に記録されます。同時に情報が暗号化されるため、他のシステムではデータを開くことができなくなります。また、その部署で登録されていないUSBを使うと警報が鳴り、管理部門にすぐ通報が行くようになりました。USBの挿入口をふさいだパソコンもありました。