森永卓郎66歳「余命4か月」告知後の3大タブー斬り「逮捕者2名」の全社拒否と「シャッターを切らない」父親
「たぶん、来年の桜は見られない」そう医者から告げられたら、あなたなら、どうしますか。昨年11月、主治医から、ステージ4のすい臓がんであると告知されたのは、テレビの情報番組のコメンテーターとしてもおなじみの森永卓郎氏。 日本の3大タブーとされるジャニーズ事務所の性加害、財務省の財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事故について迫った書籍『書いてはいけない』(三五館シンシャ)が14万部を超えるベストセラーとなっている経済アナリストだ。 柔和な笑顔を浮かべながら政権の暗部に鋭く斬り込む一方で、著書『年収300万円時代を生き抜く経済学』では、経済格差に苦しむ我ら庶民に対して、どう生きたらいいのかを懇切丁寧にアドバイスする。そんな66歳の硬骨漢の3度のチェンジと、長いものに巻かれない精神のルーツについて、ラジオの生放送終了後の同氏に聞いた。 (全5回/第3回) ■【画像】10年前の森永さんと大量の「グリコ」コレクション!
スイス連邦の首都で夜明け前に三脚を立てた父
――血の気が多かったり、病気のことがあったりと、3回のチェンジのときは、アクセルをさらに踏み込む要因がいろいろとあったと思うんですが、そもそも、そういう素養、長いものに巻かれない精神と言うのは、若いときからあったんじゃないかと思うんです。誰かの影響なのでしょうか? 基本的には父親の影響だと思いますね。父親は、毎日新聞の新聞記者だったんです。外信部が長かったんですけれども、私が一番印象に残っているのは、ジュネーブの支局長をしていたとき。その新聞の日曜版では、世界の名所、旧跡のカラー写真を撮って載せるのが当時の習慣だったんですね。 うちの親父は日本で初めて、その名所旧跡の前で現地の子どもたちが楽しそうに遊んでる姿を写す、名所と子ども両方を入れる写真をやったんですよ。ジュネーブから、そのベルンの時計台、ベルンってスイス連邦の首都があるんですけど、そこの時計塔の前の広場に、もう夜明け前から車で行って三脚を立てた。
往復8時間「今日はシャッターチャンスが…」
うちの父親って、新聞記者であると同時にカメラマンでもあって、すっごい偏屈で、シャッターを 1 回か2 回しか切らない。父親が言うには、下手くそなカメラマンだから、いっぱい撮るんだ。で、本物のカメラマンは、一瞬を切り取る。だから何回も押しちゃダメだ。それが報道だっていうこだわりがあったんですよ。 ベルンの時計台の前に親父が朝、三脚を立てて、私たち家族はその周りの観光に出かけて夕方、戻ってきたんですね。 親父に、「いい写真撮れた?」て聞いたら、ひと言。「今日はシャッターチャンスがなかった」。もう、ビックリです。往復8時間かかるんですよ。もっとかかったかな? ジュネーブ支局長の前がウィーン支局長だったんで、一緒についていった私は、ウィーンでドイツ語を覚えていたので、ドイツ語を話せたんです。 ジュネーブはフランス語なんですけど、ベルンはドイツ語なんですね。だから、たとえば私に言って「お前ちょっと、そこの現地の子どもたちを集めて遊べよ」って言ったら、そこで、すぐに仕事は終わるわけですよ。 だけど、親父は「やらせをやってはいけない。自分は報道記者だ」。それがやらせかどうかよくわかんないんですが、現地のリアルな状態を伝えるんだという強い思いと、絶対に“作り”を許さないっていう、その正義感たるや半端じゃなかった。こっちはすげー迷惑って感じですけどね。 でも、その親父のもとで育っているから、周りを忖度したり、迎合するっていうことが、できない性格に育っちゃったんです。それでもサラリーマンやってるときは、ある程度は我慢してたんですけど、その制約が今、失われて、もうやりたい放題(笑)。