女性外来は“性差医療”の遅れを取り戻すために必要だった。伝説の医師・天野惠子さんが切り開いてきた女性による女性のための医療
今では当たり前になった「女性外来」。 その設立に貢献したのが、現在81歳の医師・天野惠子さんだ。 【画像】「患者さんファースト」が信条で、現在81歳の医師・天野惠子さん 内科医として58年、“究極の男社会”とも言われる医学界を生き抜き、現在も診察に精力的に取り組んでいる。 著書『81歳、現役女医の転ばぬ先の知恵』(世界文化社)から、医療に男女の性差の視点を取り入れることの重要性と、女性外来設立のきっかけについて一部抜粋・再編集して紹介する。
アメリカから20年遅れていた性差医療
アメリカに遅れること20年、性差医療の考え方が日本に上陸したのは、21世紀に入る直前です。 実は私は、アメリカで盛んに研究が進みはじめていた性差医療の存在を知り、1980年代後半から90年代にかけてのころ、この学問分野について学んでいました(ちなみに、この学びの途中で、微小血管狭心症のことも知りました)。 そしてこれを日本でも取り入れるべきだと実感し、1999年の日本心臓病学会で性差医療の概念を日本ではじめて紹介しました。 そもそも、医学は男性を基準に確立されてきましたから、当然のことながら女性医療は立ち遅れていました。 性差医療の最先端をいくアメリカでは、それを是正するため、地域における女性医療の研究、診療、啓発教育を行うためのセンターを全国の大学病院に付設するなど、政府が先頭に立ち、次々と女性の健康支援のための施策が打ち出されていました。
実践の場としての「女性外来」
性差医療の概念を日本で紹介した私は、日本でも、まずは女性医療の遅れを取り戻さなくてはならないと考えました。 男性と同じ病気で女性に関するデータがないものについては、データをとってエビデンスを構築しなくてはなりません。 そのためにまず必要なのは、医療現場で活躍する女性医師への啓発だと思っていた私は、性差医療の実践の場として「女性専用外来(女性外来)」の立ち上げに向け動き出したのでした。 当時、私の考えに賛同してくださる方も多く、2001年5月の鹿児島大学医学部附属病院を皮切りに、全国の医科大学や国公立病院で次々と女性専用外来が開設されていきました。 私自身、2001年9月に公立病院ではじめての女性外来が立ち上げられた千葉県立東金病院で診察を担当することになりました。 患者さんからの反響は大きく、女性外来は瞬く間に人気の外来診療科に。 「女性医師による、女性のための、女性医療」として、マスコミにも大きく取り上げられました。 おかげで、世の中に性差医療の存在が認識されるようになりましたが、フェミニズム的な受け取られ方をするなど、誤解や偏見もありました。 しかし、性差医療は、社会学とはまったく違う概念。あくまでも純粋に医学的な視点による医療なのです。