両腕で歩くミャンマーの牧師と合気道開祖の「最後の内弟子」 Vol.24
ダウンタウンの指圧師――杖取り堂
本間のアパートは、ベッドルームとダイニング・キッチンのみで家賃180ドル。他の地域と比べれば半分以下の家賃だ。そのアパートは日系の老女が息子に引き取られるまでひとり暮らしをしていた部屋で、当時流行の毛足の長い絨毯が敷かれていた。 長い間の天ぷら料理のためか、ダイニング・キッチンに敷かれたその絨毯は油でベトベトであり、歩くとその絨毯に足跡が残った。また大型冷蔵庫の周りには親指ほどの大きなゴキブリがウロウロしていた。 その頃の本間の目標は合気道の道場主になることであったが、グリーンカード(永住権・就労ビザ)がなかったので、道場を開くわけにいかず、YMCA(キリスト系慈善団体)のジムを借りてボランティアで合気道を教えた。 そんなどん底の生活を救うことになったのが指圧であった。本間は植芝開祖の内弟子時代に毎夜開祖の足を揉んでいた。翁先生が夜の床に就くと、本間は先生が寝息を立てるまで、正座をして先生の足を揉み続けていた。そんな指圧の修行がデンバーで役に立った。 ある日、近所に住む日系老人に指圧をしてあげた。本間の指圧の効果は絶大であった。それまで杖をついて歩いていた老人が、指圧を終えて帰る時に杖を忘れるほどだった。彼の評判は老人から老人へと伝わり、次第に多くの日系老人が本間のアパートに押しかけて来るようになった。近所に住む身寄りの無い老人達にとって、本間のアパートはまるで「町内指圧サロン」となった。 しかし彼らは貧しい年金生活者達である。従って指圧代は気持ち程度だ。お金を受け取れない哀れな老人もいた。従って本間の生活が特段に豊かになったわけではなかったが、毎日日銭が入ってくるのは有難いことだった。 しばらくすると、アパートの前の歩道に朝早くから老人達が並ぶようになった。早く並ばないとその日の指圧の順番が回ってこないのだ。本間の朝食がまだ終わらない朝6時過ぎには、アパート2階の本間の部屋への20段近い階段を、老人達がぞろぞろと杖をつきながら登り始めた。 本間は1日約10人、ひとりに1時間ほどかけて足の先から頭の天辺まで揉み上げた。ひとり揉み上げるとシーツに大さじ一杯分の垢が出たという。合気道の達人の本間に指圧をしてもらってすっかり元気になった老人達は、階段を降りて帰る時は杖をつくことも忘れて歩いて行った。 本間の指圧サロンはやがて“杖突き堂”ならぬ“杖取り堂”と呼ばれるようになった。