こっちのけんと 壮絶いじめ、歌手デビューも先越され…紅白内定までにあった「菅田将暉の弟」の呪縛
「『菅田将暉の弟』と公言出来るようになった自分への満足感が溢れて」
しかし、このことが転機となった。改めて兄のすごさを実感するとともに《きれいな理想を追いかける「あっちのけんと」と、やるべきことよりやりたいことしか続かないと気づき始めている「こっちのけんと」が生まれた》といい、新たなステージに向けて動き出したのだ。 仕事はせずにYouTubeで”1人アカペラ”を始め、やりたかったことに集中し続けた。数年後、《鬱になった過去の自分に向けたお手紙のような曲》だという楽曲、『死ぬな!』がSNSで話題となり、「こっちのけんと」に光が当たった。 《こうした曲を生み出すためには「菅田将暉の弟」として弱々しく生きてきたことに意味があった》と過去を見つめ、《僕にとって兄の存在は宝です》と明言。《こんなにすごい兄を持っていて、腐らずにいられるのは兄のおかげ》だとし、《憧れの人が自分のことを認めてくれていることが「こっちのけんと」を作れた最大の理由だ》と兄への思いを綴っていた。 ‘21年3月には、菅田が自身のラジオ『菅田将暉のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、弟からもらった誕生日プレゼントに言及。それは、こっちのけんとが作った「歌のプレゼント」だったという。菅田が出演してきた映画やドラマの作品タイトルだけで歌詞を構成した楽曲で、「めちゃめちゃ粋じゃない? これ、家に一人でいたら泣いちゃうわ、と思って。すごい感動して。何それ、お兄ちゃん泣いちゃう!」と絶賛していた。 そんな菅田のラジオに、こっちのけんともXで反応。《泣きそうになってくれて嬉しかったな》と綴りつつ、《兄の偉大さを改めて感じて。 同居してた時に見た多忙な時期と闘う姿を思い出して。 ふと自分と比較して劣等感を感じて。 『菅田将暉の弟』と公言出来るようになった自分への満足感が溢れて》と、自分自身の存在に自信を持てるようになったことを振り返っていた。 苦悩の末に辿り着いたのは「夢だった」という憧れの紅白。’19年に初出場した兄に続き、夢の舞台に立つこっちのけんとに注目が集まりそうだ。