英国史最大級の謎「ロンドン塔の王子たち」失踪事件で新発見、殺されず生きていた証拠
生きていたことを示す文書
さらなる捜査により、王子たちを傷付けずに塔から連れ出すための当時の計画書が見つかった。 2人の生存を示す証拠が積み重なるにつれて、捜査線上にイングランド王座を狙っていた2人の人物が浮かび上がった。2人ともちょうど失踪した王子たちと同年代で、見た目の特徴も似ていた。そしてついに失踪王子プロジェクトは、王子たちが生きていたことを示す文書を発見した。兄は1487年、弟の方は1493年のものだった。 プロジェクトの発足式で、何を発見したいかと聞かれた際、私は目撃証言を見つけたいと答えた。2人の王子のどちらかが書いた文書で、自分たちに起こったことを詳しく記述し、名前、場所、検証可能な事実を含んだ記録を発見したいと言って、笑顔を見せたのだった。これが、賛同の意を込めた聴衆からの笑いを誘った。誰もがみな、同じように不可能とも思える発見を期待していた。 4年後、まさにそれを発見したのが、オランダにあるヘルダーランド古文書館のナタリー・ネイマン・ブリーケンダール氏だった。忘れもしない、2020年11月のある天気の良い午後のこと。私は自宅のデスクに座って、ブリーケンダール氏からのメールを読み、鳥肌が立つのを感じた。 こうして、弟のヨーク公リチャードの時系列が明らかになった。これにより、彼が1483年8月11日かそれ以前にロンドン塔から連れ出された後の足跡を追うことができる。リチャードは1495年にテッセル島へ渡り、その後イングランドを侵攻し、8年にわたって王座獲得を試みた。 しかし焦点は、兄エドワード5世の時系列だ。現在手元にある証拠によると、エドワードは1485年後半またはそれ以前にチャンネル諸島にいたが、1486年4月にはヨークシャーのフランシス・ロベルのもとへ向かった。 同年8月にはアイルランドに落ち着いたが、その後ブルゴーニュへ渡り、1487年5月、イングランド軍と大陸の軍を引き連れて、王座奪還とイングランド侵攻を目的にアイルランドへ戻り、その後ストーク・フィールドの戦いに臨んだ。 2人の王子は、1483年7月半ばから後半の間に塔で引き離されたため、この時点から1486年初頭までのエドワードの足跡は現在のところわかっていない。 私たちの捜査の第1段階は刺激に満ちていた。第2段階も同様の経験ができるだろうと期待している。プロジェクトの第2段階では、これまでの疑問に解答を出し、できれば2人の最終的な永眠の地までたどり着けることを願っている。
文=Philippa Langley/訳=荒井ハンナ