英国史最大級の謎「ロンドン塔の王子たち」失踪事件で新発見、殺されず生きていた証拠
王子の足取り
捜査はまず、2人が姿を消した時期を検証し、細かく時間を追って分析、手に入るあらゆる当時の資料を使ってこの時期にスポットライトを当てることから始めた。犯罪科学の技法を採用して、2人が最後にいたことがわかっている場所へ戻り、過去を再現し、2人の周囲にいて、2人とつながりのあった広範囲にわたる関係者のファイルを作り上げた。 さらに、2人について正確にわかっていることを分析して、捜査の参考にした。プロファイリングによって、2人の男子は大家族に属し、広く知られていたことがわかった。 12歳だった兄のエドワードは、思春期手前で、弟と比べてあまり体が強い方ではなかったようだ。詩や文学の才能があり、顔は父親似だった。うつ病の気があったようだが、それは思春期の始まりと、過酷な環境の変化によるものだった可能性が高い。 姿を消す前、ロンドンの人々は、エドワードが新しい王となった儀式として街に入り、その後ロンドン塔にある王室用の居室に入るところを目にしている。どちらのときも、教会、政府、庶民院の主だった関係者とともにいた。 9歳の弟リチャードは、明るく元気な子どもだったとされている。美しい顔が印象的で、全体的に健康とみられた。音楽、ダンス、歌のほか、アーチェリーや、後にはテニスなどのスポーツも得意だったようだ。 兄とは別に、リチャードは以前からロンドンに住んでいたが、失踪直前に、はしけ船に乗ってウェストミンスターから兄のいるロンドン塔に向かっているところを目撃されている。少なくとも8隻のはしけから成る船団には、教会や政府の主要な関係者も乗っていた。 王子たちは注目を集め、にぎやかなロンドン塔の庭で遊んでいるところを何度か目撃されている。2人とも金髪で、際立った魅力を放っていた。
リチャード3世にかけられてきた嫌疑
時系列を調べるうちに、2人はおそらく1483年7月18日ごろから9月20日までの間に姿を消したことがわかった。失踪当時の地元の証言と外国からの証言の間に食い違いがあるため、この期間は10月28日まで広がる可能性もある。 さらに分析範囲を拡大してみると、リチャード3世がボズワースの戦いで落命する直前、リチャード3世に殺人の疑いをかけたのはフランスから王位継承権を主張したヘンリー・テューダー(のちのヘンリー7世)であったことがわかった。 この嫌疑は、テューダー朝が滅亡し、当時の文献が調査され、複数の家の子孫に聞き取りが行われるまで、広く受け入れられていた。しかし、そうした調査の結果、テューダー朝の主張に疑問が呈され、2人の王子は殺害されずに生き延びていた可能性が浮かび上がった。 さらに、ボズワースの戦いの直後の時代を法科学的に分析したところ、殺人の証拠も目撃者も何一つ見つからなかった。ヘンリー・テューダーが速やかに北部を捜索したが、消えた2人を見つけることはできず、その後ロンドン塔内部の捜索でも、何も出てこなかった。