《訃報》晩年の西田敏行さんを支えた“一番のファン”は家族たち「100才まで生きて」「死ぬまで演技を続けて」願う
口癖は福島の方言で『大丈夫、なんの問題もないよ』
西田のふるさとへの思いは深い。 「とにかく、西田さんの心の拠り所は福島にあります。東日本大震災の時も、発災から二週間後には地元へ足を運んで、友人たちと一緒に被害の大きかった南相馬市に車で向かったそうです。 いわき市の海岸沿いなどを見て、友人たちと何ができるか、何をするべきかを話し合い、“とにかくできることを全部やる”“福島の復興のためならなんでもやる”と誓ったといいます」(別の芸能関係者) 震災から6か月後には、郡山市で野外コンサートを開き、被災地への応援歌『あの街に生まれて』を歌った。この曲は、音楽プロデューサーの秋元康氏(66)による作詞。西田が被災したふるさとへについて語り、秋元氏がその思いを汲んで生まれた曲だ。 西田はその曲を、同年の紅白歌合戦でも披露している。 「西田さんは、よく『さすけねえ』と言うんですよ。福島の方言で『大丈夫、なんの問題もないよ』という意味です。撮影現場でも、ちょっとネガティブな状況になったとき、あのいたずらっこのような笑顔で『さすけねえ、さすけねえ』って。その一言が、いつもみんなを勇気づけてくれるんです」(前出・別の芸能関係者) 西田の演技は、心を大きく揺さぶる。彼を育んだ故郷への思い、そして家族と周囲との“死ぬまで俳優”という約束を胸に、これからも唯一無二の演技を見せ続ける。 (了。前編から読む)