『たとえあなたを忘れても』切なくも美しい余白が漂うラストに 堀田真由と萩原利久の功績
最後の一幕で小さく煌いた、記憶以上に大切なもの
最終回というところで、美璃と空の恋路だけではない、周囲の仲間の“これから”も気になるところ。幸せそうな美璃と空を見ながら切なげな視線を向ける沙菜と保。美璃を遠くから見つめ「僕はもう札幌だから」という保に、「やっぱりそのためだったんですね」「これからはちゃんと自分のこと考えなあかんですよね、私も先生も」と沙菜が答える。保の体調不良を機に、距離が縮まった2人の「また会えますね」に込められた余韻が微笑ましい。茜(畑芽育)も元恋人とよりを戻し、幸せな今を歩み始めていた。 半年後、美璃と空は子どもを授かる。美璃の「その後の私たちには、幸せな時間があった。幸せな時間しかなかった」という“過去形”の意味深なモノローグの後、子どもが産まれてから入園式に至るまでの幸せな映像が次々に流れていくのだが……。ここから第8話のラストへと物語は繋がっていく。 最後のシーンでは、記憶を再びなくしてしまったと思われる空が、自身の子どもに寄り添われながら、ゆっくりと美璃の手を握る。あえて解釈の幅を残したようにも見えるこのラストシーンは、4度目の共演となる堀田真由と萩原利久だからこそ作り上げられた空気感であるようにも思う。美璃と空の間にもはや言葉は要らず、表情とわずかな仕草だけで、2人は想いを交わす。美璃と空の切なくも美しい結末を描き出すこのラストは、2人が演者として積み上げてきた時間を凝縮したかのような完璧なシーンだった。 このシーンの解釈をどう捉えるかというのはもちろん視聴者次第だとは思うが、ここで思い返されるのが「何度記憶をなくしても、空は空だから」という美璃のあの言葉。大きく言えば、これまでに“記憶”を人と人とを繋ぐものとして描き続けてきた本作。しかし最終回にして、自分の“存在そのもの”を肯定してくれる他者によって、“記憶”がなくても人と人とは繋がれることを意味しているようにも思えた。美璃が前もって用意していたであろう、ピアノの映像から流れる優しい旋律と相まって、美しい余白が漂うラストだった。 人は誰でも思い出を忘れていく。病気や事故でなくても、時の流れによって、全ての人が少しずつ記憶を失っていくものだ。それでも、あなたがそこにいることで救われる誰かがいる。『たとえあなたを忘れても』と温かな想いを馳せてくれる存在がいること。記憶以上に大切なものが、最後の一幕で小さく煌いたのではないか。
すなくじら