“ドラフト史上最高齢指名”を目指す右腕、26歳で出会った球界のレジェンドの教えが「僕の野球観のすべてです」
「僕の野球観の全てです」恩師はNPB600試合登板のレジェンド
ドラフト史上最高齢での指名を狙う、『くふうハヤテベンチャーズ静岡』の平間 凛太郎投手(山梨学院)、30歳。「遠回りはしたけど、苦労人ではない」と語る平間の野球人生を振り返る。 【一覧】独立リーグ・二軍球団ドラフト候補リスト 平間はハヤテに入団するまでに、高校、大学、社会人を経て独立リーグ、メキシコリーグにも挑戦した。異色の経歴の持ち主は自らの球歴をこう断言した。 「僕の野球観は高知ファイティングドッグス時代に吉田 豊彦監督に全部教わりました」 こう話すのにも理由がある。実は平間は中学時代、元NPB選手だった指導者とそりが合わず、シニアチームを辞めた経験があるのだ。 「指導者の『オレは元プロだ』という感じや、選手への贔屓がひどくて……。結局辞めてしまいました。『NPB出身の人ってこんな感じなのか』ってずっと思っていた部分がありました。ですが、吉田さんに出会って100%変わりました。ハヤテもそうですが、長くNPBでプレーされている選手はみなさん物腰が柔らかく、気づいたことに対してちゃんと教えてくれて人間性が素晴らしいんです」 吉田監督はダイエー(現・ソフトバンク)にドラフト1位で指名されると阪神、近鉄、楽天を渡り歩き、プロ通算20年で619試合も登板している。実績はもちろんのこと、先発、中継ぎ、抑え全てを経験した指導は、平間にとっても転機となる出来事だったという。 初めて吉田監督の元でプレーした時、平間は既に26歳だった。日本製鉄東海REXを退団し、四国アイランドリーグplusの高知FDへと入団。企業就職の道を選ばず、覚悟の一年となるはずも、初年度はコロナ禍の影響もあり、リーグ戦の開幕も6月までずれ込んだ。それでも初年度から抑えで起用され結果を残し続けた平間は吉田監督の教えがあったからこそだと語っている。 「3月の頭に吉田さんに呼ばれて、1番最初に言われたのは『クローザーで使う』という話でした。その後また監督に呼ばれた時には、『クローザーのお前で負けたら試合は仕方ない。だからお前は堂々として投げろ』と言ってもらいました」 今でも登板する直前に嘔吐するほどメンタルに自信のない平間にとって、吉田監督の言葉は大きな自信になったという。結果、初年度は45試合登板で3勝1敗、防御率0.79と圧巻の成績を残すと、18セーブでセーブ王のタイトルも獲得。見事期待に応える活躍を見せた。 ドラフトではNPB球団から調査書が届いたものの、結局は指名漏れ。現役続行の判断もつかず迷っていた平間は、吉田監督に助言を求めた。 「1年目の終わりに吉田さんに野球を続けるかどうか相談しました。僕は本当にNPBを目指せる選手なのか、そして、目指すんだったらどのタイプの選手なのか――と。そしたら吉田さんは『中継ぎのスペシャリストになればNPB目指せる』『そのためには変化球でストライクを取らないとだめだ』と言われたんです」 吉田監督の言葉で課題が明確になった。平間は自慢のカーブを見つめ直し、カーブを自由自在に操れるようになった。 2年目も39試合登板で防御率0.43を残し、2年連続で最多セーブを獲得。3年目には先発に転向し、前期で6勝を挙げると、一度メキシコリーグ移籍し8月に復帰を果たすと3勝を積み上げ、防御率1.59で9勝を挙げる華々しい成績を残した。