〝真田の抜け穴〟は、戦国時代のどこでもドア!~落語に息づく幸村伝説とは~
大阪・朝日放送のアナウンサーでありながら、社会人落語家としても活動する桂紗綾さんに「歴史」と「落語」をまじえたお話を楽しく語ってもらう記事です。 江戸時代には芸術芸能が大きく花開きました。浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎が庶民の間で流行すると、三味線や踊り・義太夫(ぎだゆう)等を教える稽古屋も繁盛します。現代でもピアノ教室やダンススクールがあるように、文化が世間に浸透すると自らも学び挑戦したいと思うものなのでしょう。 落語には稽古屋が舞台となる噺(はなし)が多く、『稽古屋』『胴乱の幸助』『あくびの稽古』『汲みたて』等々。中でも特に歴史に関する知識がユーモアを生み出す『猫の忠信』をご紹介します。大河ドラマ『どうする家康』のクライマックスでも盛り上がりを見せた〝大阪の陣〟。『猫の忠信』には、この大阪の陣にまつわる〝真田の抜け穴〟に関したセリフが登場するのです。 駿河屋の次郎吉は、若くて別嬪の師匠・お静さんに入れあげ、熱心に義太夫の稽古屋に通っている。次の発表会で『義経千本桜』を披露するため張り切っていると、道端で仲間の六さんに出会う。六さんは「わしはもう行かん。師匠には男がいる。あわよくばモノにしたいと色気半分で通っている〝あわよか連〟のお前らも、もう辞めてしまえ」と忠告する。どうやら相手は吉野屋の常吉で、先程六さんが通りがけに稽古屋を覗けば、常吉とお静さんが肩にもたれ合いしっぽり酒を呑んでいたと言う。信じられない次郎吉は自分の目で確かめるべく一人稽古屋に駆けつけたが、確かに二人がいちゃつきながら杯を交わしている…思案の末、ヤキモチ妬きな常吉の妻・おとわに告げ口に行く。しかし、隣の部屋から常吉が現れ、驚いた次郎吉は証拠を見せようと、稽古屋におとわを連れて行く。先程家にいたはずの常吉がやはり師匠といちゃいちゃしているのを見て、次郎吉は「これはきっと〝真田の抜け穴〟や!真田幸村が大阪城に立てこもって、徳川方の軍勢を引き付けてあっちこっち抜け穴掘って、あっちで戦いこっちで戦い、一人の幸村が五人にも六人にも見えたんや。常やんは家と稽古屋に地下穴を掘ったんや!早よ帰って床下確認しよ!」急いで帰るも常吉は家にいて、「おとわ、お前が見てもわしがおったか?そうか…」さては狐狸妖怪の仕業か、と今度は常吉が次郎吉を連れて稽古屋に乗り込み「お前は一体誰や、わしに化けやがって!」偽常吉を押さえつけると、何と正体は化け猫だった。「私の両親は伏見院様に飼われ、受けた果報が仇となり、皮を剥がれ三味に張られました。当時仔猫の私、父恋し母恋し、ゴロニャンニャンと鳴くばかり、流れ流れてその三味がご当家様にありと聞き、かく常吉さまの姿をば借り受け、当家に入り込みしが…壁に掛かりしあの三味の、表の皮は父の皮、裏の皮は母の皮、私はあの三味線の子でございます」と素性を白状した。次郎吉が「こいつ猫やったんか…あ!今度の会は大当たり間違いなしや!『義経千本桜』の役割が揃ってる!ほんまもんの常やんが吉野屋の常吉、吉野山が舞台で源義経やろ。わしが駿河屋の次郎吉で、家来の駿河次郎。常やんに化けてこの猫がここでタダ酒呑んでたから、静御前のお供の〝狐忠信〟は〝猫のただ呑む〟や!」「肝心の静御前は?」「静御前なら名前からしてお静さん、姿と言い器量と言い、お師匠さんにぴったろや」「えぇ?わてみたいなお多福、なんの静に似合うかいな」とお静さんが恥ずかしがった。そこで猫が顔を上げて「にゃう(似合う)」。 上方落語では『猫の忠信』、江戸落語では略して『猫忠』と呼んでおり、〝真田の抜け穴〟が出て来るのは上方のみです。江戸落語でその部分がカットされた理由は行ったり来たりのくどさを取るためのようですが、私はそれ以上に豊臣方や真田幸村への親近感の地域差だろうと考えます。大阪は天王寺にある三光神社には真田の抜け穴跡があり、中には入れませんが、堅牢な造りであることは外からでも窺えます。 日本人は元来、勝ち組よりも負け組を愛でる人情を持ち合わせています。『仮名手本忠臣蔵』塩谷判官の判官贔屓(はんがんびいき)、『平家物語』源義経の判官贔屓(ほうがんびいき)等は有名ですね。私は今一つ、『難波戦記』における真田幸村の左衛門尉贔屓(さえもんのじょうびいき)を、エントリーさせたいのです。これらを〝日本三大贔屓〟と言うのはいかがでしょうか?(笑)
桂 紗綾