父が亡くなり「年金月5万円」で生活する78歳母、1年でガリガリに…年収480万円の48歳長男が、断腸の思いで下した「ひとつの決断」【FPが解説】
見るたびに痩せていく母
帰省すると母親は気丈に振る舞い、高野さんのご飯や晩酌のおつまみなどを嬉しそうに出してくれていました。しかし、1年ほど前から見るたびに痩せているのがわかり、「生活は、大丈夫?」と思わず尋ねます。 母親は、「最近、食欲が落ちてね。でも、ダイエットになっていいわよ」冗談交じりで答えていたので、心配しながらもあまり突っ込み過ぎないようにしました。 それが最近では、帰省してもご飯や晩酌のおつまみの品が減ってきたり、「自分で食べたいものを買ってきて」と言われたりするようになりました。 高野さんは自分の年金のことにも疎かったのですが、両親の年金のことに対しても、どれくらいもらっているのかわかっていませんでした。 しかし、会うたびに生活が苦しくなっていると感じるようになって、母親にいま受け取っている年金額や生活費について聞いてみました。 母親は、はじめは「心配しなくてもいいよ」と言っていましたが、高野さんはしつこく問いただし、やっと現在の収入などを聞き、愕然としました。 父親が亡くなったときの資産も現在はほぼ底をついており、年金も月5万円だけということでした。 夏はクーラーを点けず、冬は暖房も必要最小限だけ使っていたようですが、水道光熱費や食費だけでもあっという間に5万円以上になるということでした。 ご近所付き合いもあり、総菜などのお裾分けもいただいていたようですが、いただいたらお返しをしなければと、茶菓子などを買って持って行っていたということです。
断腸の思いで生活保護の申請へ
前述していますが、高野さんは母親を呼びよせて一緒に暮らすことも考えました。しかし、すでに大学に進学した子どもと、これから大学受験を迎える子どもがいることや、マイホームとはいえ、4人暮らしでも手狭になっている家に母親を迎え入れるのは難しい状況でした。 また、母親を呼びよせることで、世帯の収入は5万円増えると考えられるかもしれませんが、母親の年金は母親の自由に使ってもらいたいという思いもあり、光熱費や食費が増える分、結局は自分たちの生活が困窮するのではないかという不安もありました。 いろいろ悩んだ結果、苦渋の決断でしたが、母親の住んでいる市役所に生活保護の申請を行いたいと相談に行きました。 市役所に行くと、申請窓口は市役所ではなく福祉事務所に通されました。高野さんは母親の現状や高野さん家族の現状を詳しく説明しました。 相談していくうえで、まず言われたのが、やはり母親と一緒に住むなどして扶養することでした。 生活保護では親族からの扶養が優先されるということでした。しかし、前述したように高野さんの家庭では母親の面倒をみることが金銭的にも環境的にも難しいことを説明しました。 家の売却も提案されましたが、高野さんの実家は、築60年という古い家で売ることもできず、土地だけを売ろうとしても、家の解体費用や整地する費用を考えると手元に残るものはないことを説明しました。 また母親も親しみのある土地で、可能であればこのまま住み続けたいという願いもあったのです。 この日は相談だけを行い、後日改めて母親と申請に来るということで、一旦帰宅して、母親に生活保護申請の話をしました。 母親は、はじめのうちは「生活保護なんて、受けたくない」と拒んでいましたが、現在の生活について、根気強く説明し、結局は納得してくれました。