「核兵器廃絶へ、またとないチャンス」87歳の体は限界…最後の力をふりしぼり被爆証言のためオスロへ
広島ニュースTSS
被団協以外にも広島からオスロでの証言を依頼された被爆者がいます。 先ほど空港での取材に応じていた英語で被爆証言をする被爆者の小倉桂子さんです。 オスロ行きを決めた小倉さんの思いとは? 【被爆者・小倉桂子さん(87)】 「またとないチャンス。私たちは、他のたくさんの被爆者は(被爆の実相を)世界に伝えたい」 先月、オスロ行きを前に記者会見に臨んでいた被爆者の小倉桂子さん。 「I was 8years old、 when the atomic bomb dropped」(原子爆弾が落ちたとき私は8歳でした)」 小倉さんは、英語を話すことができる数少ない被爆者で年間2000人のペースで被爆証言しています。 今回、ノーベル賞の授賞式などへの出席と翌日行われる記念イベントでの被爆証言を依頼され、迷った末に引き受けました。 【小倉桂子さん】 「私たちが頑張ったら核兵器はもう無くなるとずっと思ってました。核兵器と通常兵器の違いはこんなに違うとそれを伝えてきたつもりですのに現状、そして今、それを脅しに使われている。こんなことがあっていいものかしらと思いました。だからヨーロッパに行きたいと思います」 もともとは専業主婦だった小倉さん。 8歳のとき、爆心地からおよそ2.4キロで被爆し黒い雨を浴びました。 これは、小倉さんの被爆証言を基町高校の生徒が絵にしたものです。 この世の地獄を目のあたりにしました。 【小倉桂子さん】 「すごいつらかった。要するにトラウマがあるということ。絶対これは一生、人に言うまいと」 過去の記憶は、自分の中に閉じ込め、結婚後は主婦として育児や介護に追われていました。 夫は英語が堪能で平和資料館の館長まで務め平和行政に携わっていました。 その夫が、突然他界。 42歳だった小倉さん。 悲しみに暮れる中、夫の代わりに通訳をしてほしいと次々に依頼が来たのです。 学生時代以来、20年ぶりの英語。 辞書を片手に独学で必死に、勉強しました。 【小倉桂子さん】 「とにかくわかんないことがいっぱい出てきたら、書いて、それを辞書で引くと。寝る暇もない」 被爆者運動の先頭に立ってきた人たちの通訳もするなど、その活動に寄り添ってきました。 その背中を見てきた一人がおととし亡くなった坪井直さんです。 【小倉桂子さん】 「その国のもつ問題点とか悩みとかそういうものをちゃんと踏まえて相手の気持ちになって話をされる。影響力。私がきょう話をしたこの話を聞いた人たちは次にどんな歩き方をするだろうかという風なことを想像するんですね。坪井さんのそばでお話しを伺った経験が私にさせているものだと思います」 経験を力にして小倉さんも語れなかった過去を英語で伝えるようになりました。 実は小倉さん、日本被団協が今年ノーベル賞を受賞する機運を肌で感じていたと言います。 始まりは、去年広島で行われたG7サミットです。 小倉さんは、この時たった一人で各国首脳のいる資料館に呼ばれ、被爆証言をしました。その様子は非公開。 でも小倉さんは手ごたえを感じていました。 【小倉桂子さん】 「皆さんが本当に一生懸命私の話を聞いて下さったのがとても嬉しかった。これは本当の話ですよ、ここで起きたというのが彼らの心を動かすと信じています」 実際にアメリカのバイデン大統領は・・・ 【アメリカ・バイデン大統領】 「原爆慰霊碑を訪問すると、核戦争が起こればこれがいかに悲惨であるかを強く思い知らされる」 その後、小倉さんへバイデン大統領からお礼の手帳も届きました。 【小倉桂子さん】 「裏側がバイデンさんのサインなの。素敵でしょ。一瞬の積み重ねが世界を動かすと信じています」 小倉さんは証言した人たちに手帳へ平和の想いなどをつづってもらうようになりました。 平和の想いをのせたその手帳は、まもなく最後のページを迎えます。 さらに… 【小倉桂子さん】 「G7で変わったのは、たくさんの方がいらっしゃいます。本当に自分は何をやるべきかって本気で考えていらっしゃる人がたくさんいました」 核兵器をもつイギリスの若者たちも被爆証言を聞きに来るようになりました。 小倉さんは、世界の変化を感じていました。 そして、迎えたノーベル平和賞の日本被団協の受賞決定。 【小倉桂子さん】 「被団協の受賞によって、世界の人がまだ広島に来ていない人が自分は何をすべきか、すぐやらなきゃと感じてほしいとかすかな希望。被爆80年に向かって歩みだしたという足音を感じます」 一方で、取材や証言の場も増え、忙しさも増していました。 【小倉桂子さん】 「もう夜になっちゃった。早く日がくれる。どうしてこんなに疲れるんだろうというぐらい疲れる。洋服を着たままベッドに倒れて、そのまま寝て3時ごろおきてシャワーするっていうぐらい。次の日も忙しい」 87歳の体は限界に来ていました。 【小倉桂子さん】 「とにかくこのチャンスを大切にする。こんなにノーベル平和賞のときにという効果的なことはない」 最後の力をふりしぼり、長旅へ向かいます。 【小倉桂子さん】 「毎日のように、いろいろなオファーが向こうから入ってくるんですね。何回お話するんだろうと思うほど本当に回数が多くなりそうです」 オスロではできるだけ多くの人に会い、直接心に働きかけようと考えています。 この世界の人が二度と自分と同じ目にあわないように。 《スタジオ》 【コメンテーター:元カープ・山内泰幸さん】 「小倉さんは英語で表現されますから、感情に訴えるものがすごく大きいと思います。核兵器廃絶に向けて加速するまたとないチャンスですから、体調を整えて証言していただきたい」
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