盆踊りを牽引する「ロックン河内音頭」の神髄
天馬鈴若さんに聞くロックン河内音頭とは?
天馬鈴若さんは、大阪の芸能村“てんのじ村”で生まれ育った。父は浪曲師、母は三味線曲師、祖父は歌舞伎の早変わりなどを演じる一座の座長だった。両親らの指導を受け、10歳の時には早くもテレビ初出演。以降、たびたび取り上げられており、そんな天馬師匠に話を聞いた。 ──ロックン河内音頭を始めようと思ったきっかけは? 天馬 そもそも私がロックン河内音頭を始めようと思ったのは、1960年代くらいからエレキバンドが流行ってまして。そのエレキバンドに魅了されて、和太鼓から持ち替えたのがきっかけ。 中学生の頃にグループサウンズを結成し、ボーカル活動をしてましたが、当時から洋楽と邦楽の融合を考えてました。 ──その理由はどうしてですか。 天馬 河内音頭はもともとは仏供養として盆踊りで歌われています。年一回の盆踊りは、下は3歳から上は100歳まで参加されるくらい幅広いもの。その時に歌い手がお経を読むわけにはいきません。だから河内音頭を改良していこうと思って。まず、子どもは浪曲に不向きですし。1つに偏ると盆踊りの意味がない。歌い手も主役、踊り手も主役。そうなると、踊りやすいリズムがある。 そこでロックン河内に変えたわけです。20数年以上も前のことです。 ──ロックン河内ではアニメも取り入れている? 天馬 河内音頭は浪曲、民謡の部類に入る。それだけで若い方が耳を傾けない。その中にアニメの歌を取り入れたり、ニューミュージックやロックンロール、ポップス、演歌、歌謡曲を入れる。バラエティーに富んだものを、河内音頭の1曲の中に取り入れる。そうすれば、20代、40代、60代、3つに分けてもそれぞれが踊りやすい。何でもありにしないといけないし、そうしないと、踊っている方が楽しめない。祭りの太鼓は、絶対必要ですが、幅広い年齢層に合わせたものを考え、それがロックン河内の神髄です。 ──老若男女、みんなが楽しめるものにしたわけですね。 天馬 全体的に偏ることなく、踊って頂く。それが私の狙いです。一曲の持ち時間の中で、すべての曲を入れる。親子ともども、親戚一同みんなが楽しめるもの、それが天馬流の河内音頭、ロックン河内です。他の河内音頭を決して否定するわけではありません。 ──シンセサイザーを櫓に初めて導入したとか? 天馬 最近は東大阪、八尾などでも盆踊りではシンセサイザーが当たり前ですけど、最初は天馬流のロックン河内から生まれたもので、私が第1号でした。25年以上も前です。その頃、天童よしみさん、中村美津子さん、畠山みどりさんらとも、一緒に河内音頭をやってました。共演したことありますよ。数10年前にはテレビ(「ズームイン!!朝!」)でも紹介されました。