【プレイバック’04】「自由があっていいわ~」菅直人氏〝失意のお遍路旅〟に本誌新人記者が密着ルポ
10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたび振り返る【プレイバック・フライデー】。今回は20年前の’04年8月6日号掲載の『本誌新人女性記者が「お供します!」菅直人「四国お遍路200㎞」を密着中継』をお届けする。 【そんなところで?】すごい…川の水でいきなり頭をジャブジャブ洗い始めた菅氏 ’04年、この春の国会会期中に発覚した麻生太郎総務相(当時)ら小泉内閣3閣僚の「年金未納問題」。彼らを「未納3兄弟」と揶揄するなど、民主党の代表として激しく追及した菅直人氏(当時57)だったが、自身も年金が未納だった期間があったことが発覚、代表辞任に追い込まれた。そして2ヵ月後の7月15日、菅氏はなぜか突然、四国霊場八十八ヵ所を巡る「お遍路さん」となってしまったのだった。その道程を本誌新人記者が密着ルポ。その様子を改めてお届けしたい。(以下《 》内の記述は過去記事より引用) ◆「あいつ、けしからん」とか考えたくない 頭を丸め、白装束に身を包んですっかりお遍路さんになってしまった菅氏。HPには「この3ヵ月間(中略)大きな出来事が続いた。今後何をするにしても、その前に一度立ち止まって、自分自身を見つめ直す時間が必要」と書かれていたのだが……。学生時代に八十八ヵ所を巡るなど、お遍路にはうるさい本誌新人女性記者(22)は、菅氏の真意を問うべく四国へ飛んだのだった。 《7月17日午後4時。菅氏は遍路道最大の難所を越え、十二番札所「焼山寺」に着いた。相当お疲れのご様子だったが、そんなことおかまいなしに菅氏にサインや写真をおねだりするオバさま方の群れ。菅氏と同じ宿にこっそり予約を入れた記者は、風呂あがりの菅氏を直撃した。 ――フライデーなんですが。 「フライデー? 危ねえなあ(笑)」 ――何を考えて歩いてるんですか。 「無心だよ。『あいつ、けしからん』とか、いろんなことを考えたくないからさ」 やっぱり、「けしからん」と、腹に据えかねる相手がいるのね。フムフム。》 翌朝は午前7時に出発した菅氏を記者も追う。菅氏はそんな記者にさりげなくジュースを手渡してくれるなどダンディーな一面も。歩いているとこの日も道沿いの家々から「菅さん、お茶飲んでって」と声がかかる。1998年の元女性キャスターとの不倫スキャンダル以来、女性に不人気と言われたのがウソのようなモテモテぶりだった。途中、民主党のポスターを見かけるとこんな言葉も飛び出した。 《「でもこの辺は後藤田(正純)さんが強くて大変。なんせ奥さん(水野真紀)人気がすごいからね。あ、お遍路中は人の悪口をいっちゃいけないんだけど、僕はお嫁さんをほめただけだから、ハハハッ」》 1人でツッコんで1人でフォローする菅氏。今回の霊場巡りは司馬遼太郎の『空海の風景』に影響されたのだという。お遍路中に不謹慎だが政局の話も聞いていた。 当時、菅氏は政局をこのように振り返っていた。 《――岡田克也新代表はいかがですか。 「非常によくがんばってると思います。最後まで支えてもらったしね」 ――参院選で勝って次は政権交代ですか。 「もうテンパイ(マージャンで、あと1個、必要な牌が入れば上がれる状態)してるからね」 ――菅さん自身の今後は? 「お遍路中に、『がんばってください』と声をかけられるけど、私のことじゃなくて、民主党のことをいってるんですよね」》 こう自虐的に答えると金剛杖を振り上げて歩き始める菅氏。10日間で室戸岬までの200㎞を歩く予定だという。「代表でないとSPもつかないし、自由があっていいわ~」などとのびのびとした様子も見せていた。 1996年の自社さ連立政権の橋本龍太郎内閣で、新党さきがけから厚生大臣として入閣した菅氏は、薬害エイズ問題で国の責任を認めて謝罪。また、病原性大腸菌「O157」による食中毒が流行した際にはカイワレ大根を報道陣の前で食べるなどのパフォーマンスで人気となる。同年9月に民主党が旗揚げされると、鳩山由紀夫氏と共同代表を務めた10月の衆院選ではちょっとしたブームを起こしていた。政界の中でも存在感を発揮し続けてきた菅氏にとって、’04年の代表辞任は初めて味わった〝どん底〟の時期だったと言っていいかもしれない。 ’04年、一番札所の徳島県・霊山寺から236㎞を歩いて室戸岬の最御崎寺(ほつみさきじ)に辿りついた菅氏のお遍路。その後、政治活動の合間を縫って7回に分けて続けられ、八十八番札所までの1200㎞を歩いて「結願」したのは’13年の9月だった。この間に民主党は政権を奪取し菅氏も首相となったものの、東日本大震災や東京電力福島第1原発の事故での対応で批判を浴びて、1年あまりで退陣に追い込まれていた。最初のお遍路旅で政権につくことを夢見ていた菅氏は、お遍路を終えたときに何を見たのだろうか。 ’23年11月、菅氏は次期衆院選には立候補せず、政界を引退することを表明している。
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