天啓を受け会社員からガールズケイリンへ 二度の大ケガにも「職場復帰する義務がある」と語る石井貴子が掴んだ不変の新境地とは
【大ケガを乗り越えての復活劇】 インタビューでは的確な言葉で自身の考えを伝える知的さを備え、振る舞いにも品格が漂う。個性豊かな選手が揃うガールズケイリンにあっても、石井貴子(千葉・106期)の醸し出す雰囲気と存在感は、際立っている。そんな石井だが、6月のパールカップでGⅠ開催初優勝を手にした際には、人目をはばかることなく涙を流した。 【画像】知的かつ凛々しい表情で人気の石井貴子 「またこんな日を迎えられるなんてと思って、自分が一番びっくりしました。あの優勝は自分の力だけでなく、いろんな人に助けていただき、流れや運なども味方してくれたからだと、心から思っています。GⅠの格付けができる前にパールカップと同格のレースで勝った経験はありますが、それまでの優勝と受け止め方はまったく違いました」 2021年5月のガールズケイリンコレクション2021のレース中に落車し、右肋骨多発骨折と血気胸を負った。約3カ月の休養期間を経て復帰したが、本来の走りを取り戻すのに時間がかかったことに加え、23年春には再度、練習中に落車。左鎖骨、肋骨、肩甲骨を骨折し、長期離脱している。度重なる試練を乗り越えての優勝だった。 「以前は他人と比較したり、ランキングを気にすることも多かったですが、復帰してからは、より自分自身に向き合うようになりました。ガールズケイリンが単に筋力や出力だけを競う種目ならば、私は勝負ができませんが、勝敗は複合的な要素で決まります。自分ができることを積み重ねて戦おうと考えるようになりました」 至った境地は、「目の前のことに精一杯取り組む」というマインドだ。目の前の練習、目の前のレースで全力を尽くす。パールカップも長期的な視点で狙った優勝ではなく、3日間の開催でも1日ごとに集中することだけを考えていたという。そしてそれが大きく実を結び、クールな石井の目に涙をもたらしたのである。
【自分のすべてをかけられるものを仕事にしたい】 石井のバックグラウンドはスキーのアルペン競技。2歳から始め、大学時代まで情熱を捧げてきた。 「大学まではスキー中心の生活でした。ただケガも多く、靭帯損傷を何度も経験し、手術もしています。大学でスポーツ医学を専攻していたのですが、学べば学ぶほど私の体は骨格的に靭帯を痛めやすいことも知りました。怖いなと思うようになりましたが、それでもスキーは楽しかったですね。でも、それを仕事にするのは難しく、未練を残しながら就職活動をしたんです」 スキーは大学で引退し、卒業後は一般企業へと就職した。気持ちを切り替え、仕事を頑張ろうと決めたが、早い段階で違和感を持つ。「私は選択を間違えていないか、本当にこれでいいのか」と日々、自問自答を繰り返したという。そんな時、天啓のようにある考えが浮かび上がった。 「通勤の電車のなかで本当に突然、"競輪選手になろう"と思ったんです。ガールズケイリンがスタートすることを学生時代に知っていましたので、その情報が頭に残っていたんでしょうね。本当にそれだけの理由です。自分でも不思議なくらい、急にストンと思いついたんです」 スキーのために自転車を使ってトレーニングをすることはあっても、自転車競技が特別好きだったわけではない。ただ、自分のすべてを注ぎ込めるものを仕事にしたかった。そして「ガールズケイリンならそれが叶えられるはずと直感的に感じた」と石井は言う。そこからは仕事を続けながら出勤前や休日に練習し、日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)の試験の1カ月前に会社を退社して受験。見事に合格を果たす。2012年12月のことだった。